第4.日本脳炎

1. まえがき
 本事業における日本脳炎調査は、1965年以来現在まで毎年行われている。感染源調査では、毎年夏期を中心に全国各都道府県において、日本脳炎ウイルスの散布の指標として肥育豚のHI抗体保有率と新鮮感染抗体の出現を追跡し、その調査結果は国立感染症研究所ウイルス第一部で集計され、旬報として厚生省保健医療局結核感染症課から関係機関に送付される。一方、ヒトの抗体保有状況を測定する感受性調査は、1966〜1974年、1979〜1981年および1985〜1994年に実施され、1995年度は実施されなかったが、本年度は抗体価測定法を検討することを合わせて、感受性調査を実施した。従って、本年度は感染源調査と従来の方法で測定した感受性調査の両面からの成績について報告する。
 日本脳炎確認患者については、厚生省保健医療局結核感染症課が各都道府県衛生部の協力のもとに実施している日本脳炎患者個人票(昭和40年5月6日衛発297号「日本脳炎の診断について」及び昭和40年5月6日衛防第41号「日本脳炎の診断について」による)にもとづいた個別の情報を集計したものである。この集計は検査室診断陽性例と定型的死亡例をとりあげているので、病因論的に信頼度が高い。わが国の日本脳炎患者数としては、伝染病予防法に基づいて統計情報部から発表される患者数があり、これが公式の発生数とされているが、この報告は臨床診断を根拠としているために本集計の確認患者数とは一致していない。
 感受性調査は秋期に実施されるので、感染源調査で報告されるこの年のウイルス散布がほぼ終了した時点で測定されたヒトの免疫状況を示すものである。
 わが国の日本脳炎患者発生数は1967年以来急速に減少した。本感染源調査はこの患者減少がウイルス散布の希薄化と関連していることを明かにしてきた。その後、1978/79年に本ウイルスの散布が再び活発化の傾向を示し、患者発生が西日本を中心に増加した。1980年以降は毎年20〜40例の範囲にとどまっていたが、1990年には11年ぶりに50例を越えた。しかし1991年からは患者数が再び減少し、1996年は4例にとどまった。
 一方、わが国の不活化日本脳炎ワクチン接種は1954年に開始された。以後、力価および精製度について改良が重ねられた結果、現在使用されているワクチンは安全性および予防効果の両面できわめて優れたものといえる。1989年以降、ワクチン製造株が従来の中山・予研株から、より中和抗体産生能のよい北京-1株に変更された。ただし、本感受性調査は日本の野外株に対する免疫度の測定を目的としているために、中和抗体測定用抗原にはひきつづきJaGAr01株が使用されている。

2. 感染源調査
(1)調査目的
 ブタの血清中の日本脳炎ウイルスに対する抗体を測定して本ウイルスの浸淫度を追跡し、流行を推定する資料とする。

(2)調査対象
 前年度は予算削減により実施府県が大幅に縮小された。本年度は調査数は半減したが、ほぼ全国規模で調査が実施された。北海道は実施せず、東北地方の6県、関東地方の埼玉県を除く1都5県、中部地方の新潟、石川、福井、山梨、長野、静岡、愛知の7県、近畿地方の三重、京都、奈良、大阪、兵庫の5府県、中国地方の鳥取、島根、広島3県、四国地方の香川、愛媛、高知の3県および九州、沖縄の全38都府県、さらに県独自で調査を行った富山、滋賀両県の成績を合わせて集計した。
 各都府県において、なるべく県産のブタが集まる屠場1カ所を選定し、調査時点ごとに10頭ずつ、計80頭(東北については70頭、沖縄については100頭)について調査した。調査に当たっては、ブタの種類、性別は問わないが、生後5〜8カ月のものを対象とした。ただし、多くの都道府県においてこの規定数を上回る調査が報告されている一方、この数を満たしていない府県もあった。また、2カ所の屠場を対象とした県もあった。

(3)調査時期及び回数
 原則として1996年5月から9月の間で、次の区分による回数で採血した。
 A)沖縄県は5〜8月上旬の各旬計10回
 B)沖縄を除く近畿以西では7〜9月中旬の各旬1回ずつ計8回
 C)東北では7月下旬〜9月の各旬1回ずつ計7回
 D)上記以外の各都県は、7月中旬〜9月の各旬1回ずつ計8回

(4)調査内容
 ブタ血清中の日本脳炎ウイルスに対するHI抗体を測定した。なお、1:40以上のHI抗体価を示した血清については、これが新鮮抗体であるか否かの判定のため、2-ME感受性抗体(IgM)の測定を行った。調査ブタ中1:10以上のHI抗体保有率が50%を越え、かつ、2-ME感受性抗体が検出された地域を日本脳炎汚染地域とした。

(5)調査結果
T 1996年ブタの日本脳炎感染調査
 ブタにおける日本脳炎ウイルスHI抗体の10月までの最終成績を図1に示した。この成績にもとづく1996年夏の日本における日本脳炎ウイルス蔓延状況は次の通りである。
A)感染のはじまり
 1996年のブタ感染も、例年同様に沖縄県で始まった。同県北部では5月14日の採血時点で、HI抗体陽性率は90%を越えていた。中南部では6月18日に50%を越え、一週間後の6月25日に100%に達した。沖縄県以外で最も早くブタの感染が50%を越えたのは静岡、三重県の7月24日であった。鹿児島県では7月30日に80%に達し、8月に入って高知、広島および大分を除く九州全域で50%を越えた。近畿地方の滋賀、大阪、京都、奈良、兵庫および四国の香川、愛媛で感染が活発化し、8月末までに愛知、鳥取、島根、大分に広まった。

B)感染のひろがり
 1996年度のブタ感染の広がりは、初期には例年並の様相を示したが、その後はあまり活発ではなく、9月に入って山梨、石川、福井で、9月末には神奈川、千葉、茨城で感染が見られた。日本脳炎の終期である10月までに屠場で検査されたブタの50%以上が日本脳炎の感染を受けた都府県は28府県に留まり、茨城より北では一県もなかった。ブタの新鮮感染がわずかに認められたのは3都県(東京、群馬、富山)で、全く認められなかったのが9県(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、栃木、新潟、長野)であった。なお、栃木、新潟、長野ではHI抗体が50%を越えた時期があったが、2-ME感受性抗体が検出されず、日本脳炎汚染地域とはされなかった。

U 日本脳炎確認患者
 厚生省保健医療局エイズ結核感染症課を通じて集計した全国都道府県からの日本脳炎患者個人票では、1996年のわが国における日本脳炎確認患者総数は4名であり、昨年より2名多かった。患者の内訳は男女各2名で、県別では熊本、佐賀、高知、愛媛各1名、年齢階層別は、60歳代2名、70歳代80歳代各1名であった。転帰は全治1名、後遺症3名であり、予防接種歴については未接種1名、不明3名であった。図2に1982年〜1996年の確認患者(合計324名)について、その予防接種歴と病気の予後を示す。

3. 感受性調査
(1)調査目的
 日本脳炎ウイルスに対する免疫度を健康者の抗体保有状況から分析し、今後の流行の可能性を推定し、予防接種計画に役立てることを目的とする。

(2)調査対象
 調査担当県は、宮城、群馬、東京、新潟、大阪、島根、香川、熊本、大分、沖縄の10都府県である。原則として各都府県につき1地区を選び、その地区に居住する者のうち、過去5年間に他地区に移住しなかった者を対象とした。0〜4、5〜9、10〜14、15〜19、20〜29、30〜39、40〜49、50〜59、60歳以上の9年齢区分から男女を問わず各20名、合計180名について調査した。 

(3)調査時期
 原則として1996年9月〜10月

(4)調査内容
 被検者から採血し、血清中の日本脳炎ウイルス中和抗体を測定した。検査術式は「伝染病流行予測調査検査術式、昭和61年5月、厚生省保健医療局感染症対策室」によった。鶏胚線維芽細胞上のプラック減少測定法(チャート法)を用い、抗原としてJaGar01株を使用した。調査に当たり、対照として標準抗血清が国立感染症研究所ウイルス第一部から提供され、原則として標準抗血清の中和価が標準値±2倍以内を示す検査条件のもとに得られた被検血清の成績が集計された。

(5)調査結果
A)調査対象
 本年度日本脳炎中和抗体が測定された総数は1,947名であった。集計中、調査票に過去3年以内の日本脳炎ワクチン接種歴について「有」と記載した者は合計464名で、接種歴不明者を除外した接種率は全体で44.4%であった(1986〜1994年は32〜44%)。

B)年齢別抗体保有状況
 日本脳炎ウイルスJaGAr01株に対する中和抗体保有状況の年齢または年齢群ごとの保有率を図3に示した。日本脳炎ウイルス中和抗体は1:12以上の陽性率でみた場合、0歳児は52%、1歳が最低で46%、4歳以上で70%以上となる。この保有率は29歳から40歳代前半でいったん下降し、その後再び上昇する。この傾向は1:40以上の保有率をみるとさらに明確である。この年齢別保有率曲線は、加齢とともに上昇するパターンが学童以上20歳代まで部分的に押し上げられた形と解釈されている。この年齢群はワクチン接種率が最も高くなる群に相当する。保有率が高い年齢層の幅は年々年長側に拡大しており、1996年の調査時点で最も保有率が低いのは30歳代後半である。

C)年度別成績の比較
 図4に年齢別抗体保有率(1:12以上)および平均抗体価について、年齢群別に1970年代(代表年として1979年)以降の調査成績を比較した。年齢群別抗体保有率についてみると、いずれの年度でも0〜4歳群が最も低く、ついで1979年では20歳代前半が低く、1985、1991年度になると25歳以上40歳代前半がゆるやかな谷を形成した。1996年度では30歳代後半の谷が顕著である。また、1:12以上の抗体価をもつ者の平均抗体価の年次比較でも、5〜14歳群の上昇が著しく、35〜39歳群で低い値を示した。本調査における抗体価の分布は、近年の各年齢群の日本脳炎ウイルスに対する免疫状況の変動を示している。すなわち、ワクチン接種により獲得された高い抗体価をもつ年齢層が年毎に拡大し、明らかな谷(低率)を形成する群は1970年代の15〜19歳群から20歳代に、さらに最近は30歳代に移行した。本年の調査成績もこのことを確認している。現在日本脳炎ウイルスに対して免疫が最も低い年齢群は0〜4歳を除けば30歳代後半から40歳代前半である。

D)地域差
 調査担当県別の1:12以上、1:40以上、1:160以上の抗体保有率について、各地域を比較したのが図5である。各地の抗体保有状況はワクチン接種状況および感染源調査に報告されたウイルスの散布状況を反映し、西日本で高い免疫状況が示されている。本年の調査でも1:12のレベルで高い抗体保有率を示したのは、島根(98%)、香川(97%)、沖縄(97%)ついで新潟(84%)、東京(83%)、大分(79%)であり、最低は宮城の43%、ついで大阪の50%であった。抗体陽性者の平均抗体価は、高い順に沖縄(1:228.5)、香川(1:164.8)、熊本(1:153.1)、島根(1:120.3)であり、低いのは群馬(1:37.7)、東京(1:45.6)、大阪(1:52.9)であった。

E)予防接種効果
 本調査で、日本脳炎ワクチンの接種歴については、3年以内にワクチンを受けた者を「接種歴有」と記入するように記入要領で指示している。本年の集計では、ワクチン接種率は全体で44.4%、年齢別の最高は5〜9歳の67%、ついで10〜14歳の66%、15〜19歳の60%であった。また県別では、最高は島根の83%、最低は群馬の17%、熊本の18%であった。本年も大分、沖縄については予防接種歴の情報が得られなかった。
 図6において年齢群別にワクチン接種歴有群と接種歴無群について抗体保有率および平均抗体価を比較した。1:12以上の抗体保有率は、0〜14歳ではワクチン接種群で明らかに高いが、15歳以上の年齢群では非接種群と差が認められなかった。しかし、1:12以上の抗体をもつ者の平均抗体価は、全年齢群で接種群の方がやや高く、特に0〜9歳ではワクチン接種群は非接種群より4倍以上高かった。

4. 考察および今後の流行予測
 ブタの飼育は北海道から沖縄まで、全都道府県にわたって行われている。これらのブタはヒトよりはるかに日本脳炎ウイルスに対する感受性が高く、しかもその約8割が食用豚であるため、生後6ないし8ケ月には屠殺される。このため前年の日本脳炎流行期の感染を受けていない、免疫のない若いブタが毎年日本脳炎ウイルスに広く感染し、我が国の日本脳炎ウイルスの増幅動物となっている。ブタにおける感染が、日本脳炎流行の指標となる。1996年のブタの日本脳炎感染は例年とほぼ同様に沖縄から始まった。しかしその後の感染の広がりは例年に比べて小規模に終わったと考えられる。一方、日本脳炎確認患者は昨年より多い4名であった。患者の地域分布は熊本、佐賀、愛媛、香川各1名と九州、四国地方に限られた。患者の年齢はいずれも60歳以上であり、予防接種歴は未接種または不明であった。
 1965年以来全国的に実施されている日本脳炎ブタ情報は、毎年の日本脳炎ウイルスの各都道府県における散布状況を示し、1970年代には大勢として日本脳炎患者の年次別、地域別発生状況と連携し、ブタ感染の活発な年には患者発生も多かった。しかし、1980年代以降予防接種の普及とともにこの傾向は崩れ、ブタ感染の活発さに関係なく患者数は比較的低レベルに保たれていた。しかし、日本脳炎確認患者はいずれもブタを指標とした日本脳炎ウイルス汚染地域に、予防接種を受けてないかあるいは接種歴不明者の間に発生している(図2参照)。予防接種の実施に関しては、ブタにおける監視状況をふまえ、地域の特性に合致したきめ細かな接種方式が検討されるべきであろう。また、1970年以降、各地で分離された日本脳炎ウイルス株間の抗原構造の差異を調べる調査が実施されていない。ワクチン製造株、感受性調査用攻撃ウイルス株等と、近年の野外の日本脳炎ウイルスとの間の抗原構造の差異を調査する必要があろう。
 上記流行期がほぼ終了した時点で実施された感受性調査においては、従来の調査結果が確認されている。すなわち、日本では日本脳炎ウイルスに対する免疫は0〜4歳群についで29〜44歳が低い。一方、5歳以上20歳代後半まで免疫度の高い年齢群の範囲は年毎に年長側に拡大している。この若年層の高い免疫獲得はワクチン接種効果とみられる。本調査は、日本において日本脳炎のワクチンの接種効果が顕著であり、若年層の免疫獲得に重要な役割を果たしていることを明らかにしている。ブタの飼育場所が人口密集地から隔離されつつあることや、生活環境の変化等から日本脳炎ウイルスに汚染された蚊に刺される機会が少なくなり、日本脳炎ウイルスに対する免疫獲得のためには予防接種への依存度がますます増大している。
 日本脳炎ワクチンは不活化ワクチンであるため従来から免疫の持続が短いと考えられ、本調査における予防接種歴は3年でとってきた。しかし、1989年よりワクチン製造株が中山株から免疫原性のより良い北京に代わった。本年度の調査においても予防接種歴別抗体保有状況は図6に示すように、1:12以上の保有率では、15歳以上の年齢群で接種群と非接種群にほとんど差が認められない。これは3年以上前に予防接種を受け、中和抗体が持続している人も接種歴無として報告されたためと考えられる。今後の日本脳炎感受性調査において、予防接種歴に関しては5〜10年でとる等再検討が必要と考えられる。


平成8年度目次