病原性大腸菌O157の分子疫学

国立感染症研究所細菌部長

渡辺 治雄


要約
 1996年に日本全国で分離された約1,790株の腸管出血性大腸菌(enterohemorrhagic Escherichia coli:EHEC)O157をXbaI制限酵素切断後のパルスフィールド電気泳動(PFGE)等で解析した結果,昨年度起こった18例の集団発生例を中心に型別すると6つの型に分別できた。集団発生をおこした型の菌と同一パターンを示す一見散発発生例と考えられるケースも認められたが,散発発生例の多くは,上記の6型の範疇には入らず,細かく分別すると200種類以上に分けることができた。1996年に日本全土で発生した腸管出血性大腸菌O157による集団および散発事例は,単一クローンの菌によるものではなく,数多くの異なるPFGEパターンの菌によるものであることを考えると,日本全土における当該菌による汚染度はかなり進んでいることが示唆された。1996年度の分離菌株について得られたPFGEパターンのデータは,1997年に発生することが予想される事例について,その因果関係調査のベースになるばかりでなく,菌の自然環境内での変動についての貴重なデータを与えるものと考えられる。

1.研究目的
 1996年5月末以来,腸管出血性大腸菌O157による集団及び散発の食中毒事件が日本全国で発生した。厚生省食品保健課に報告された数によると,有症者数9,451人,内死亡者12人にも及んだ。岩手県盛岡市や、北海道帯広市の事例のように、有症者数に加え無症状感染者の数が多数みられる事例が存在することを考えると、実際には9,451人を上回る数のEHEC O157:H7感染患者が1996年にみられたことになる。これらの事件を起こした菌が同一クローンによるものなのか,それともお互いに独立なクローンによるものなのかを菌の表現形質および遺伝学的性状を解析することにより明らかにするとともに,原因菌の相互間の関連性及び日本全土における当該菌の汚染実体を明らかにすることを目的にする。

2.研究方法
 1996年に各地方衛生研究所を中心に主に集団および散発の腸管出血性大腸菌食中毒事例の患者等から分離され,国立予防衛生研究所に送付された1,800株近くのEHECO 157を対象として調査した。日本全土のヒト,食品,及び環境由来より収集された菌の表現形質として,生化学的性状および毒素型を検査した。および遺伝学的性状としては,(1)制限酵素XbaIで菌体DNAを切断後,パルスフィールド電気泳動(PFGE:pulsed-field gelel ectrophoresis)を用いてDNA切断パターンの差異を解析する制限断片長多型(RFLP:restriction fragment length polymorphism)法,及び(2)ランダムなプライマーにたいする菌体DNA内の相同性をサーチするrandom ampIified polymorphic DNA−PCR(RAPD−PCR)法,を行いDNA上の差異を比較検討し,遺伝型での分類を行った。

3.研究成果
 EHEC O157:H7が産生するStx毒素は大きく分けて2種類報告されており、赤痢菌の志賀毒素とアミノ酸レベルでは1残基しか違わないStx1とそれとは物理化学的性状や免疫学的性状が異なるStx2が存在する。18例の集団発生例のうち6月に発生した群馬県境町と10月の北海道帯広市の2例でstx2のみ陽性の菌株があったものの、あとはすべて両者とも陽性であった。PFGEによる解析では、EHEC O157:H7の染色体DNAは20kbから600kb以上にわたる、20本以上の断片に分けられ、分離菌ごとに様々なパーターンを示した。分類の簡素化のために、100kb以下、100kbから200kb、350kb以上の大きさのDNA断片に特徴的な泳動パターンがみられた場合、各領域をそれぞれType I−VIに分類した。100kb以下の領域で10本から12本のDNA断片がみられ、異なるタイプ間ではお互いに3本以上の断片が異なっていた。RAPD−PCRでは、増幅されたバンドの大きさが4.4−kb,2.3−kb,1.3−kbの共通のバンドがありさらに0.7−kbのバンドの有無により大きくTypeI,IIの2種類に分類した。また、その中の細分類をアルファベット小文字で表した。

3.1.集団発生事例の解析
 1996年5月から6月におこったEHEC O157:H7による7件の集団発生(岡山県邑久町、新見市、岐阜県岐阜市、広島県東城町、愛知県春日井市、福岡県福岡市、大阪府河内長野市)からの分離菌のPFGEパターンは、発生場所が異なるにも関わらず、非常に類似していた。我々はこの泳動パターンをType Iに分類した。それぞれの集団発生由来株は、各集団発生ごとに同一の泳動パターンを示したが、集団発生問ではわずかなDNA断片の相違がみられた。違いのみられた断片の大きさは75kbと50kbであり、これにより、各集団発生由来株を100kb以下のバンドにより3つのパターンIa,IbおよびIcに分けることが出来た(Ia,75kb断片保持;Ib,50kb断片保持;Ic両者を持たない)。詳細な解析の結果、Ia,IbおよびIcの三者は、同一ではないが、近縁度の高い菌であると結論することができた。
 6月、群馬県境町の小学校で発生した集団事例は、stx2だけ陽性の菌によるものであった。これのPFGEパターンはType Iとは異なっていた(IV型)。また、RAPD−PCRではType IIeに分類された。
 7月に大阪府堺市の小学校で起こった集団発生は(IIa,IIb,I)を示し、同時期に近畿周辺で起こった集団発生(大阪府羽曳野市での老人ホーム、京都府京都市の会社、和歌山県橋本市ならびに御坊市の老人ホーム)由来株も堺市由来株のPFGEパターン(IIa,IIb,I)と同一のパターンを示した。これらの事例についてもRAPD−PCRではすべてType IIeであった。9月に岩手県盛岡市の小学校で起こった事例に関しては、PFGEパターンは、7月に大阪府、京都府、和歌山県で起きた5件の集団発生由来株のPFGEパターンとは、100kb以下のDNA断片の5本のバンドに相違がみられ、5件の集団発生株とは異なる菌株であった。10月に北海道帯広市の幼稚園で発生した集団感染では、stx2のみ陽性であり、PFGEパターンを(IIIh,V”,III)と分類した。RAPD−PCRではType IIeに分類された。

3.2.散発事例の解析
 PFGE Type Iに分類された三種の菌[(Ia,I,I);(Ib,I,I);(Ic,I,I)]は複数の集団発生のみならず、6月から9月下旬に至る約3か月間にわたり、主として西日本を中心に多くの 地域で散発例としても分離されている。堺市や、その周辺でみられた集団発生と時期を同じくして、7月中旬に近畿地方でEHEC O157:H7感染散発例が多くみられ、その発症、分離期日は一峰性を示した。この時期に、これらの散発例から分離されたO157:H7のほとんどは堺市分離株と同じPFGEパターン(IIa,IIb,I)を示した。6月に神奈川県三浦市で発生した散発事例は、9歳男児の牛レバー生食によるものであることが疑われ、これを供した焼肉店の牛レバー等からEHEC O157:H7(stx2のみ陽性、RAPD−PCRではType IIc)が分離された。患者由来菌株と食品由来菌株のPFGEパターンは一致し、これを(Va,V,III)に分類した。上記以外の散発例も多く見られ、それらの多くは集団発生例のType I−VIに分類できないものが多数みられた。それらの総数は200以上を越えていた。

4.考察・結論
 PFGEを中心とした分子疫学的手法をもちいることでEHEC O157:H7による集団感染、散発事例由来株の遺伝子型の異同が明かになった。1996年度に起こった18例の集団発生例を中心に型別すると6つの型に分別できた。集団発生をおこした型の菌と同一パターンを示す一見散発発生例と考えられるケースも認められたが,散発発生例の多くは,上記の6型の範疇には入らず,細かく分別すると200種類以上に分けることができた。1996年に日本全土で発生した腸管出血性大腸菌O157による集団および散発事例は,単一クローンの菌によるものでなく,数多くの異なるPFGEパターンの菌によるものであることを考えると,日本全土における当該菌による汚染度はかなり進んでいることが示唆された。しかし、これらの解析結果からだけでは最終的な感染源、汚染源の特定はできず、実際に感染源が特定された例は数少なかった。分子疫学的解析法は、ひとつの流行の発生とその広がり、散発例の相互関連性の科学的根拠を与えるために重要であるが、それ以上に今後今回のようなような流行が起こった時には以下のような対応が必要と考えられる。すなわち,O157:H7の発生に対して統計学に基づいた喫食調査等の迅速な疫学調査を早期に実施し,その結果を分子疫学的解析方法により科学的に裏付けることである。又,今回の研究で得られた数多くのPFGEパターンの菌が日本全土に存在するという結果は,逆に,短期間に広域的に発生したPFGEパターンが同一である散発事例については,お互いの事件に共通汚染源等の因果関連があることを念頭に置いた組織的な疫学調査を徹底的に行う必要性を示唆するものと考えられる。1997年に入って,かなりの散発事例が発生している。今回明らかになった1996年度の汚染状況からすれば当然予想されたことであり,今後の状況に対して特に家庭内での発生に対し注意を喚起させるような行政的的対応が求められる。又,1996年度の分離菌株について得られたPFGEパターンのデータは,1997年に発生する事例について,その因果関係調査のベースになるばかりでなく,菌の環境内での変動についての貴重なデータを与えるものと考えられる。

謝辞:今回の調査をするにあたり、日本全国の地方衛生研究所の先生方の貢献は多大のものであり、それなくして今回のような調査結果は出せなかったことをつけ加えさせていただき感謝申し上げます。日本のサーベイランスシステムの素晴らしさが発揮されたものと考えます。実際に解析に従事した細菌部の部員の皆様にも感謝いたします。





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