「Outbreak事例への対応(動物公園職員における不明熱集団発生事例の疫学調査報告)」
−感染症研究所FETPとの実地疫学調査の経験−

川崎市健康福祉局健康部疾病対策課
多田 有希
国立感染症研究所感染症情報センターFETP
中島 一敏,藤井 逸人
国立感染症研究所感染症情報センター
新井  智 ,大山 卓昭


 平成13年6月,川崎市営の動物公園で,職員5名に発熱を主症状とした患者の集団発生があり,その原因究明のため,FETPの協力を得て疫学調査を行ったので,その経験を紹介する。

事例の発生と探知

5月27日,川崎市営のY動物公園にて,シベリアへラジカ(日本生まれ:3歳,以下「ヘラジカ」)の二度目の出産があり,逆子のため5名の職員が介助した。緊急の介助であり,手袋やマスクなどは着用していなかった。仔ジカは死亡,母ジカは生存。

6月2日から6日にかけて,介助を行った職員5名が発熱,悪寒,頭痛,倦怠感,咳嗽,背部痛,腰痛などを発症。

6月13日夕方,5名の発病(3名は通院治療中,2名は未受診)がわかり,集団発生の疑いが持たれた。動物由来感染症に関する問い合せから,同施設の状況が川崎市環境局(動物公園を所管)を通じ,同健康福祉局生活衛生課(動物愛護担当),疾病対策課(感染症担当)に届いた。

初期対応について

(1)経過(6月14日〜17日)

第1日 : 動物公園を訪問し,状況説明を受けた後,当日の出勤職員8名(内,患者4名。職員数13名)の聞き取り,診察,採血を実施。へラジカからの動物由来感染症が疑われたが,希少動物で情報を得られる機関や人もわからないため,国立感染症研究所感染症情報センターへ鑑別診断についての情報提供を求めた。その際,必要に応じFETPの協力が得られる旨伝えられた。5名の症状から動物公園獣医師,産業医が共にブルセラ症を疑い,ブルセラの抗体検査が必要と考え,つくば動物衛生研究所(以下「動衛研」)へ検査を依頼し,血清を送付した。ヘラジカの採血には麻酔が必要であり,また危険を伴うことから実施できなかった。そのため,同じ偶蹄目の山羊とホンシュウジカの一部(計5頭)から採血し,神奈川県家畜保健衛生所(以下「家保」)が検査することとなった。家保は,つくば動物衛生研究所から情報提供を受け,調査のため来園していた。死亡仔ヘラジカと胎盤は,園長の判断で,麻布大学にブルセラを含む細菌学的検査目的で搬送された。

午後,環境局長を委員長とする対策会議が立ち上げられた。出産介助に関わっていない職員と患者家族からの発生はなく,ヒトからヒトへの感染が生じている可能性は低いと思われた。また肺炎の診断で14日に入院となった1名を含め5名とも重症化していないことなどから,園全体の閉鎖の必要性は少ないと考えられた。さらに家保から山羊のブルセラ急速凝集反応に陽性と疑陽性のものがあるため,山羊の展示を見合わせるよう指示があった。これらのことから,ヘラジカを含む全ての偶蹄目の舎をビニールシートで囲み展示中止とすること,記者発表することを決定した。また,ヘラジカ舎でのN95マスクの着用を含む感染防御策の徹底を指示した。

夕方,FETPから鑑別診断リスト及び疫学調査(案)の提供をFAXで受けた。FETPに疫学調査の協力を依頼すると共に,翌日のミーティングを決定した。

第2日 : 午前,FETPとミーティングを行い,疫学調査の概要,本事例で今後必要な具体的な調査項目,調査方法が示され,今後の調査を合同で行うことにした。 

午後,記者会見を行ったが,この席上で,山羊の一部でブルセラ急速凝集反応が陽性・疑陽性であったことも公表したため,翌日の新聞では多くの新聞に「ブルセラ症疑い」と報道された。なお,会見終了直前に,市長から市民の安全性を考慮し休園するよう指示があり,全園の休園となった。記者会見と前後して厚生労働省へ情報提供し,市議会と地区町会へ説明を実施した。第2回対策委員会を開催し,土日の対応について打ち合わせた。

第3日 : 動物公園では,休園の立て札を置いた他,入り口に警備員を配置し来園者に説明を行った。家保から山羊のブルセラ抗体が試験管凝集試験(確定試験)では陰性であったこと,また動衛研から8名の職員のブルセラ抗体陰性の連絡を受けた。入院中の患者職員を病院訪問し聞き取りを行った。15日から解熱,咳嗽も軽減していた。第3回対策会議を開催し,動物公園の状況,市民から問い合わせ状況,ブルセラ抗体検査結果の報告をし,今後の検査方針などについて協議した。

第4日 : 動物公園にて不在であった残りの職員4名の聞き取り調査を行った。また発症職員に対し,過去及び今後の症状経過,家族の状況についてさらに詳細に調査するため調査票を配布した。

(2)反省点

1)    保存されていた胎仔・胎盤(全部)を,組織的判断ではなく,園長が独自の判断でブルセラ菌検査に提出した。(原因究明に重要な検体については,独自の処理は控えるべきと考えられた。しかし,今回のように動物由来感染症が疑われる場合の動物検体の検査体制はなく,個々の対応によるしかない実情がある。)
2)    死亡仔へラジカの死因について病理解剖等の検索がなされていなかった。(実施の基準がない。) 
3)    血清抗体価による診断のみを念頭に置き,患者の咽頭培養等の病原体分離に関する検体採取を行わなかった。 
4)    入院中の1名を除く4名の患者職員には,動物由来感染症の可能性を考慮し,探知後,診断と治療のため同一の感染症専門病院を受診してもらったが,集団発生の原因究明という目的が十分理解されず,個々の患者に対する診療としての検査・治療方針となり,感染症集団発生の包括的な原因究明調査としては不十分な対応になった。
5)    ブルセラ急速凝集反応結果を公表したため,「ブルセラ症発生」の報道となった。(今後,確定試験前の結果を公表することは慎重に行う必要があると感じた。)

疫学調査について 

(1)目的

感染源・感染経路・危険因子の特定

(2)方法 (図1)

ヒトに関する調査として,患者を含む職員全員からの聞き取り及び質問票調査,受診医療機関医師からの情報収集(理学的所見,検査結果),勤務日誌等により接触動物等の勤務状況を調査,また,全職員から1週間毎に血液採取し,病原体同定の為感染研内の複数の部署等により抗体検査を実施した。動物に関する調査としては,記録閲覧により病気(感染症),流産・死産等を調査した他,飼育環境を含め,園を視察した。今回の事例に則した症例定義(積極的症例検索用の広義のものと,解析疫学用の狭義のもの)を作成し,調査内容をもとに記述疫学的分析を行い,危険因子に関する仮説を立て,これを解析疫学(後ろ向きコホート研究)により検証した。

(3)結果

今回の事例は,6月2日から6日に集中して発生しており,いずれも症状や生化学的検査結果に類似性が認められ,同一疾患である可能性が高い。5月1日以降,この5症例以外に発熱のあった者はいないことから,単一暴露による集団発生事例と考えられた。

また,5月27日に出勤した職員は,統計学的有意(p=0.005)に発症しており,ヘラジカ出産介助を行った職員はさらに有意(p=0.0008)に発症していたことから,ヘラジカ出産介助が感染の機会として疑われた。

市の調査は第1日の早朝から開始したが,第2日にはFETPとミーティングを行い,計4回のミーティングと動物公園視察,各医療機関訪問を共同で行った。初期段階からFETPの協力・指導のもと調査が行えたことは,非常に有意義であった。さらに,外部機関として,また感染症専門機関としてのFETPの関わりは,行政判断における適正と精度の確保に重要であったと考える。

開園の判断について 

発症した5名の職員は重症化せず軽快した。また,疫学調査から,ヘラジカ出産介助が感染暴露と思われた。推定潜伏期間は6−10日であり,最後の症例の発症日から推定潜伏期間の二倍以上経過していてもさらなる患者発生のないことから,今後一次暴露患者が発生する可能性は低いと考えられた。ヘラジカ出産の可能性も当面なかった。他の職員及び家族には発症が認められないものの,病原体が特定できていないことから患者の感染力を有する期間が不明であり,二次感染の可能性について完全に否定することができなかった。そのため,開園の判断ができずに時間を要した。

結局,病原体の特定ができていなかったが,疫学調査結果から,さらなる発病者の出現,さらなる感染の拡大の可能性は極めて低いと考えられ,これを根拠に7月19日(第36日)に開園することとした。

診断と病原体の同定について

5名の発症職員の臨床所見としては,潜伏期間は6−10日間で,高熱(必発)と悪寒,頭痛,倦怠感,背部痛・腰痛等で発症し,2名が咳嗽を伴い,うち1名は肺炎であった。全例でCRP上昇を認めるも白血球増多はなかった。また,MINO,PFP,AZMにより症状改善が認められた。鑑別診断(表1)に従い,ペア血清を用いて可能な限りの検査が引き続き行われた。パラインフルエンザ,インフルエンザ,アデノウイルス,RSV,マイコプラズマ,リケッチア,コクシエラ(Q熱),バルトネラ,野兎病菌,レプトスピラ,ブルセラ菌は否定的であったが,オウム病CFの軽度〜中等度上昇(16−256倍)が,5名全員に見られクラミジア感染が疑われた。そのため,仔へラジカと胎盤を麻布大学から感染研へ移送し,検索したところ,ヘラジカ胎盤からオウム病クラミジア(C.psittaci)が分離された。さらに,分離されたクラミジアに対する抗体上昇が5名に認められた(12月12日(第182日))。これまでに,哺乳動物からヒトへのオウム病クラミジア集団感染が証明された事例はない。

今後の課題

動物由来感染症を再認識した職員教育と健康管理の見直し(緊急の対応とはいえ感染予防策を行わず出産介助を行ったこと,5名の発病の探知が遅れたことに対して)
動物由来感染症発生時の動物検体の検査体制
動物由来感染症の専門家リスト
動物由来感染症サーベイランス(厚生科学研究事業として平成13年度から開始された)
精度(質)の高い疫学調査の実施(病原体が特定できない場合に,疫学調査結果を判断の根拠とできるために)

終わりに

本事例は「動物由来感染症の可能性もある,原因不明の感染症疑い事例」であったため,病原体の特定を含めた疫学調査が必要であり,FETP及び感染症情報センターを通して感染研各部の協力が得られ行政判断,原因究明を行うことができました。動物衛生研究所、神奈川県東部家畜保健衛生所、麻布大学獣医学部微生物第一研究室、ウイルス第一部 リケッチア・クラミジア室を始めとする協力を頂いた感染研各部署の皆さま,また,環境局産業医の吉川先生,それぞれの患者主治医の先生方にこの場を借りて感謝いたします。

図1 疫学調査の基本ステップ   表1 鑑別診断
“本当に集団発生か”を確認

症例群の特徴を把握

症例定義を作成し,症例のリストを作成

感染源・感染経路やリスクファクターに関する仮説をたてる

“仮説”を検証


感染拡大防止策を実践し,予防策を提言する

・Adeno virus                                               ・Staphylococcus inf.
・RS virus                ・Q fever
・Influenza virus             ・Tularemia
・Chlamydia virus           ・Leptospirosis
 −C.psittaci             ・Corynebacteria inf.
 −C.pneumoniae          ・Brucellosis
・Mycoplasma                                              ・Rickettsisal diseases
・Legionellosis                                              ・Mycobacteria inf.
・Streptococcus inf.                                       ・Listeriosis
・Cryptococcosis                                             ・Erysipelothrix
・Cossidioidomycosis                                      ・Yersiniosis