=バイオテロへの対応=
国立感染症研究所 
倉田 毅



バイオテロとは何か?

ヒトに害を及ぼす病原体(ウイルス、細菌、真菌等)及びその産生する毒素等(以下病原体等)を用い、無差別に大量のヒトを殺傷しようとする行為をバイオテロという。病原体等を一般的に“生物剤”ともいう。これが国あるいは軍のレベルで開発され用いられる場合“生物兵器”という。小さなテロは病原体さえあればいかようにでも起こしうること、また実施者は前もって薬剤やワクチンにより防禦しうる点でいわゆるNBCテロといわれる(N: Nuclear核、C: Chemical化学剤)のうちのNやCと大きく異なる。

病原体等をどのような媒体にのせて健康人を殺傷に至らしめるかは病原体の特徴等により、エーロゾルであったり食品や水、あるいは昆虫であったりする。

昨年2001年9月11日の航空機によるテロ(大惨事)(米国ニューヨーク)は戦争状態でない状況下での発生であり、続いて米国フロリダ、ニューヨーク、ワシントンDCでの炭疽菌事件はさらに世界の耳目を集め、現実感のある脅威を全世界に植え付ける点で大きな効果(テロリストにとっては大成功)があったといえよう。

第二次世界大戦後1960年代?1970年代初にかけていわゆる“生物化学兵器”開発競争が行われてきたのも事実である。いわゆる“テロ”(バイオテロを含む)が国と国の闘いでなく、一般市民の間でいとも簡単に実施され、全世界の注目を集めたのが我が国の1995年の地下鉄サリン事件である。これはまさに全世界を“震撼”させた。オカルトグループ(オーム)はさらにボツリヌス毒素、炭疽菌をばらまいたが、幸い病人は発生しなかった。これら一連の事件は、全世界から“日本の危機管理”が全くなっていないという烙印を押されるのに十分であった。米国政府はこれらのことがいわゆる“市民”によって簡単になされた点を重視し、米国厚生省のCDC(Centers for Disease Control and Prevention)にバイオテロ対策部門が1998年に設置された。それと同時に“生物兵器、バイオテロ”という語が「市民権」(従来は軍等における秘密事項)を得て、極めて広く使用され、対応についても“一般的”な状況の中に入りつつある。大量高速輸送等により世界の一カ所での発生は直ちに全世界への脅威となり、感染症の拡大が危惧されることからである。

バイオテロのエピソード

お昼の給食のパンに赤痢菌が付いていたり、サラダバーからサルモネラ菌が検出されたりしたことが米国であり、テロなのか何かのいたずらなのか自然発生かは明確でないことがあった。1998年のディスコへの“炭疽菌をまいた”という脅かしの電話が米国であって以来、昨年10月の真の炭疽菌事件まで1700件を越える“電話”“白い粉”騒ぎがあったがいずれも菌は検出されなかった。我が国でも米国の炭疽発生以後現在まで2000件を越える「炭疽菌」粉騒ぎが発生し、検査を担当する地方衛生研究所、警察関係者はそのたびに大変な迷惑を被ってきている。幸い本物は1回もなかった。

それらをみると、(1)全て比較的ありふれた病原体が使用され、(2)異なった犯人、異なる動機、異なる病原体、(3)目的はほぼ達成されている、(4)成功例(米炭疽事件)では特別の技術を必要とする─特にエーロゾル、D死亡例はないか、あっても少数であったが、より広く拡散させれば被害は拡大したであろう。

バイオテロに用いられる可能性のある病原体

バイオテロあるいは生物兵器の対象となる病原体としては種々の考え方、問題の捉え方により分類の仕方は異なる。表1に示す(米国CDCによる)。WHOの「Public Health Response to Biological and Chemical Weapons.  WHO Guidance」(2002)では各種のガイドラインがどのような病原体をあげているかを比較しており、大変興味深い。WHOは細菌11種、ウイルス15種、真菌1種、原虫2種、オーストラリアグループ(1992)は最も厳しく、細菌12種、ウイルス20種をあげている。中でも多数の人々を殺傷する可能性があるという意味で注目されているのが、天然痘、サル天然痘、フィロウイルス、アレナウイルス、リフトバレー熱、ニッパウイルス、ダニ媒介脳炎、アルファウイルス等のウイルスと、炭疽、ペスト、野兎病、チフス等のリケッチア疾患等である。人獣共通感染症としての疾患も多い。

バイオテロと用いられる病原体の特徴

(1)バイオテロによる殺傷(健康被害)がいかなる理由によるかの認識がなされるまで時間がかかる。(2)病原体はウイルス、細菌、真菌等で通常目には見えない。またウイルスは通常の光学顕微鏡では検出不可能である。(3)ほとんどの医師は患者を診たことがない。(4)我が国の中で限られた人しか診断技術を持たない。表からわかるように全く確立されていないものもわずかであるが存在する。(5)そのような意味で検体採取は重要である。

バイオテロで重要なことは化学剤のように散布された量だけにとどまらず、時を越えて病原体は宿主(ヒト)の中で増殖することである。もちろん病原体がどのくらい増えどのようにヒトを傷つけていくかは、曝露されたヒトの免疫状態(ワクチンを含む)、薬剤適応、まかれた場所、気候(温度)等々の複雑な要因が関与する。

病原体はそれらの持つ(1)感染性、(2)ヴィルレンス(毒性)、(3)致死性、(4)病原性、(5)潜伏期間等により特徴づけられる。病原体の伝播はヒトからヒトへ、ヒトから媒介物(動物)を経てヒトへと起こる。血液、ベッド、衣類、外科用器具、水、食品、ミルク等を介して、あるいは空気、媒介動物による二次感染もしばしばみられる。

生物兵器・生物剤が用いられる理由

バイオテロにはNやCと基本的に異なっているいくつかの要因がある。(1)製造が安価である;たとえば1?の範囲に渡り大量の殺傷を行うのに要する費用は、通常兵器$2,000、核兵器$800、神経ガス$600、生物兵器$1である。(2)種々の搬送手段(ミサイル、散布、郵便、食品、水)がある。(3)攻撃を関知されにくい。(4)感染により被害が拡大される。(5)自然発生か人為的なものかがわかりにくい。(6)実際に使用しなくても強い心理効果を与えうる,等々である。

バイオテロへの事前対応

バイオテロは実行者の通報の有無にかかわらずヒトに感染(被害)がおよんだかどうかは、患者の発生があって始めて認識される。もちろん環境中に放出され長く生存する炭疽菌もある。

自然感染と人為的感染の区別は当初は付けにくい。それ故、(1)通常の感染症サーベイランス体制を充実強化しておく─インフラまで含めて─それが発生に際し、迅速に認識しうることにつながる、(2)関与病原体検出能力すなわち実験室診断機能の向上(これもインフラ整備が伴う)、(3)バイオテロに用いられ得ると想定される病原体は、通常全くその地域に存在しないか、患者が出ても極めて稀なため、その疾患の様相(Epidemic)の特徴を第一線の医療関係者は知っておく必要がある(教育、研修を通して)、(4)発生した際の制御法の確立、(5)医療サービスの拡大と充実、増加する患者への対応策の整備、(6)ワクチン、抗生物質等薬品の常備蓄と効果的配布方法の検討、F発生時の患者の精神面でのケア体制の準備、(8)関連機関─警察、消防、環境省、広域になる場合防衛庁関係等々の国の機関との連携が必要となる(国の元締めは内閣官房に安全保障危機管理室がおかれている)、(9)コミュニケーションシステムの充実、迅速化等々があげられる。さらに国を越えてこのようなことに経験の深い米国の各機関との日常的連携も必須である。上記の中でも最も大切なことは第一線で患者(感染症)の診察にあたる医師等が「これは少し違うな」と疑問をもてるように教育、訓練を積んでおくことである。

バイオテロ発生時の対応

いかに迅速に的確に対応しうるかは日常的な準備のいかんによる。発生が本来見られない場所で、極めて稀な疾患が一定地域に多数発生、季節性と無関係に発生、リスクを有する多数の人に発生している、等々が“人為的”(→バイオテロ)を疑う根拠となる。通報があったとき、疑われるときにまず、(1)使用されたと考えられる生物剤と患者のいわゆるactiveサーベイランスを行う、(2)患者臨床検体中の生物剤の検出(患者の診断)を急ぐ、(3)場合によっては環境中における生物剤の検出、(4)患者と環境─生物剤が散布された区域の特定─エーロゾル散布?媒介動物による散布?(5)患者の搬送、収容、隔離あるいは個別独立空調の必要性の有無等の迅速な判断と実施、(6)治療薬剤の選択、(7)除染が必要な場合の消毒、滅菌方の選択等があげられる。

病原体等(生物剤)の管理体制

一般に研究者は病原体等の管理にはルーズな場合が多い。病原体等を用いる研究成果は通常は経済に直結する場合(ワクチン、薬剤)を除き、部分的にある期間“confidential”のこともあるが、通常は“open”である。病原体の保有は実験を行う実験室のバイオセーフティレベル(BSL-1~4)に対応しているべきである。たとえば、BSL-3の実験室がないのに、そのレベルの病原体を保有するのはおかしいことになる。我が国でも大部分の機関の保有している病原体等については各省庁が調査を実施し(特にバイオテロに関連するとされるものにつき)まとめられている。米国のCDCの健康安全部では2年前から対象病原体のたとえばATCCからの配布先、及びそれらの使用につき主要英文雑誌全てから誰がどのような実験に何の目的で病原体等を使用しているかを追跡している。病原体のレベル分類についてはWHOは基本方針以外一切レベル分けはしてはいない。CDC/NIH、EU、我が国(国立感染研)では病原体等をレベル1~4に分類している。もちろんこれらの実施は良心的な“悪魔の心を持たない”研究者において意味を有することは言うまでもないが、保有、研究状況がわかることによりその周辺の“はずれている”グループの特定等が容易になることも一方にはある。病原体の取扱と保有については法制化していくかどうかは今後の課題であろう。一方病原体がどこからどこへ郵送されているかも重要な点である─特に国際間で─。WHOのバイオセーフティ専門委員会は2001年10月の会議で“輸送基準”を作成し、8ヶ月の関係者の検討を経て、最終的に7月中旬の国連(UN)の会議で承認された。これはテロの対象になりうる、あるいはもともと扱い上制限を受ける病原体等につき、国際輸送に厳しいルールを適用したものである。発送者と受領者の確認と、特に発送者のID提示等迄考慮されている。本来の受領者が(包装に記されている)前もって中味についての“受け取り”を同意する文書がない限り輸送担当者が“運ばない”というものである。これにより安易なやり方による先方への傷害はかなり防げることになる。もう一つは“誰”が“何”を保有しているかの情報も得られることになる。

米国における対応2001年10月の炭疽菌事件)

米国の炭疽菌事件は我が国にとっても“漠然”とした対応に冷たい水を浴びせられた感がある。米国は1998年以降30億、160億、200億円とCDCの“バイオテロ対応部門”の予算とヒト(2人→30人→50人→?)を増やし対応してきた。その大部分の資料は各州衛生部のインフラ充実に用いられた。昨年のテロ以後米国政府は特別予算を計上し(3800億円)、そのうち2900億円はCDCへまわし、さらなるインフラ整備(CDCと州)と検出技術開発、ワクチン薬剤の備蓄等に用いられている。ちなみにCDCは駐車場をつぶし11階建てのP3とP4のみの新しい実験室の建設を開始した。これには天然痘の動物実験も想定されている。さらにNIAID(NIH)においてはワクチンと薬剤開発と病原体の遺伝子解析に900億円が配布された。この研究チームには米国籍を持たない人は一切参加できないという。炭疽の次は“天然痘”であるということで、欧米の国々は厳戒態勢に入っている。天然痘ワクチンについてはWHOも5月から検討を開始した。我が国では世界で最も弱毒化された神経病原性が知られていないLC16m8株のワクチンが250万人分備蓄された(2002年3月末)。旧ワクチンは110万人分使用可能状態で保存されている。米国の株でのテスト結果からすれば、107台のウイルス力価があれば十分に“善感”(=take)状態になることからすれば、我が国の備蓄ワクチンは双方108以上の力価があり、緊急事態の発生状況によっては約10倍の人口に接種しうることが可能になろう。旧ワクチンが脳炎脳症を起こし、時に100万あたり20-30人の死者や多数のてんかん等の副作用を生じたことを考えると、27歳以下の全くワクチン接種していない世代には新しいワクチンを、既接種者には旧いワクチンを接種するのも一つの考え方であろう。我が国もこの新しいワクチンについては一定量まで毎年製造保存していく方向で検討されている。全国民への接種については米国でも真剣に検討されたが、決定に至ってはいない。

“誰が”“いつ”“何故”バイオテロを実施するか?

国際間の戦争、紛争等で使用することが起こりうるかもしれない。この問題についての答えは“ワカラナイ”である。ただ米国の資料によれば、ロシア、中国等10数カ国が少なくとも“生物兵器”保有国としてあげられている。国として使うか?個人としてそれらの生物剤を使うか?個人が開発(秘密裏に)して用いるか?天然痘のように既に消滅した(1977)疾患への対応をせねばならないのは何とも悲しい限りである。次の標的はポリオか?ポリオについても根絶後の野生株ウイルスの封じ込めがWHOにより検討されている。天然痘保存ウイルス(アトランタとノボシビルスク)の経緯を見るとき、封じ込めは容易ではない。

おわりに
バイオテロ対応というのは一つの捉え方、考え方として重要である。しかし対応事項をよく検討すると、それらは全て感染症の対策即ちサーベイランスと迅速診断能力の強化充実である。従って日常業務(それぞれの役割の中での)そのもののレベルを高め(当然ハード面も含めて)ていくことが我が国民の大好きな“人命重視”につながることである。