感染症情報センター地域保健平成13年度危機管理研修会







臨床医からみた麻疹の問題点

東京都立駒込病院小児科
高山 直秀

[はじめに]
 現在の日本では麻疹ワクチンの導入以前に比較すれば,麻疹患者の総数は減少しているものの,未だに多数の麻疹患者が発生し,麻疹による死亡者も出ている。さらに,近年麻疹患者の年齢分布に変化が現れている。麻疹ワクチン導入間もない頃までは1-3歳に単一ピークをもつ年齢分布を示していたが,患者年齢のピークが0-1歳と20代前半の2峰性に変化してきている。成人の麻疹患者が相対的に増加しており,妊婦の麻疹患者,母親から感染した新生児の麻疹例もみられる。さらに,麻疹ワクチン導入後の世代からは軽症の麻疹(修飾麻疹)を発症する中学生,高校生が報告されている。こうした麻疹患者発生状況の変化の原因として主要なものは,接種率が不十分な麻疹ワクチンの効果,小児人口の減少,日本人の社会生活習慣の変化などがあると考えられる。

[問題の列挙]
 臨床医からみた日本における麻疹の問題点は下記の点であると考える。
1)有効なワクチンがありながら,未だ多数の麻疹患者および死亡者が出ている。
2)抗体減衰によると思われる10代-20代の麻疹患者が発生している。
3)麻疹母子感染の発生が報告されている。
4)成人麻疹患者が相対的に増加している。
5)医療機関で麻疹に感染したと考えられる患者が少なくない。
6)麻疹ワクチン接種率が70-80%で低迷している。
7)日本における年間麻疹患者発生数も麻疹による死亡者数も把握できていない。

※臨床医の麻疹に関する疑問
a)現行の麻疹ワクチンは流行株に対して以前と同様に有効か。
b)現在市販されている筋注用ガンマグロブリンは麻疹発症予防に有効か。
c)どの程度の抗体があれば麻疹の発症を免れることができるのか。

[問題の提示]
1)有効なワクチンがありながら,未だ多数の麻疹患者および死亡者が出ている。
 平成13年の全国定点調査では,5月27日現在で報告された麻疹患者数は20,740であり,年齢別では,6ヶ月未満が266名,7-11ヶ月が2,513名,1歳が4,599名,2歳が2,103名,3-4歳が2,859名であったが,10-19歳が3,258名,20歳以上の患者も394名いた。これらの報告例における麻疹ワクチン接種歴は不明である。東京都の調査では,報告された麻疹患者454名中ワクチン接種済みの患者は13名,未接種の患者が441名であった(平成10年)ので,全国ではワクチン接種済みの患者も相当数あるものと思われる。感染力が強い麻疹ウイルスの伝播を阻止するためには95%以上の抗体保有率が必要であるといわれているが,大都市でのワクチン接種率ははるかに及ばない。地方では幼児へのワクチン接種を徹底させて,麻疹の発生を数年間ゼロにできた市もある。麻疹ワクチンの接種率が低迷していることには,若い保護者の無知,ワクチン副反応の過大評価,ワクチン行政の欠陥,ワクチン接種担当医の意識などが関与していると思われる。

2)抗体減衰によると思われる10代-20代の麻疹患者が発生している。
 麻疹ワクチンによる抗体陽転率は95-99%あるいはそれ以上である。しかし,ワクチン接種で獲得した抗体は次第に減衰し,ある程度以下になれば,麻疹ウイルス野生株の感染を受けた際に不顕性感染とならずに,発症する。これが10-20代でみられる修飾麻疹と考えられる。
ワクチン後自然麻疹のうち軽症のものが修飾麻疹と呼ばれているが,ある程度以下の軽症例は臨床的に診断できない。ウイルス性発疹症としか診断しようのない症例も少なくないといわれており,このような症例は学校伝染病の規定による登校停止処置を受けることなく登校し,学校ではもちろん通学途中でもウイルスを散布するので,感染源として重大な働きをする。
 麻疹ワクチン接種後の麻疹といえども,重症例はワクチン未接種の患者とほぼ同様の症状を示す(麻疹ワクチンが善感しなかった可能性はあるが)。このような症例が集積すると,「ワクチンは子どもの病気を大人の病気に変えているだけ」との風評が広まり,ワクチン接種率の低下を招く可能性もある。

3)麻疹母子感染の発生が報告されている。
 出産前後の女性が麻疹を発症して,生まれて間もない自分の子どもに麻疹ウイルスを感染させる事例が報告されている。また,妊娠中の女性が麻疹を発症すれば,たとえ修飾麻疹であっても,胎児が麻疹ウイルスに感染して胎内で死亡したり,障害を持って生まれたり,生まれて間もなく麻疹を発症するような事態が発生する恐れがある。

4)成人麻疹患者が相対的に増加している。
 成人麻疹患者では早期に麻疹との診断がなされず,隔離されないまま,感染を広げる症例が多い。また,社会活動を休まざるをえないので,小児患者の場合よりも社会経済的損失が大きい。成人麻疹の診断が遅れる原因の一つに
 ア)麻疹は子どもの病気,
 イ)大人になれば麻疹に罹ることはない,
  といった麻疹に関する誤解があると思われる。
 成人麻疹患者増加の背景には,小児人口の減少,小児の生活習慣の変化および麻疹ワクチン接種により,小児の麻疹感受性者数および密度が変化し,麻疹ワクチン未接種でありながら,小児期に麻疹の発症を免れた成人感受性者が集積したためと推定される。

5)医療機関で麻疹に感染したと考えられる患者が少なくない。
 家族内,保育園や幼稚園での麻疹患者が感染源となることが多いが,医療機関受診時に感染したとしか考えようがない患者が少なくない。入院病棟内での麻疹流行の報告もまれではない。

6)麻疹ワクチン接種率が70-80%で低迷している。
 麻疹ワクチンの接種率が上がらない原因は種々あるであろうが,麻疹ワクチン副反応の過大評価と並んで,
 ア)アレルギーのある子どもは接種しないほうがよい,
 イ)熱性けいれんを起こす子どもは接種しないほうがよい,
 ウ)大人は麻疹ワクチンを接種できない,
  といった麻疹ワクチンに関する誤解も関与していると推定される。
 また,誤解とは言えないが,
 エ)本物の麻疹にかからないと強い免疫はできない,
  と信じて麻疹ワクチン接種を避ける親も少数いるようである。
 修飾麻疹患者が多発すれば,「本物にかからないと・・・」と考える親が増加してワ クチン接種率が低下することも考えられる。実際,「こんなことなら子どものときに かかっておけばよかった」と言い残して退院した修飾麻疹患者の親もいる。

7)日本における年間麻疹患者発生数も麻疹による死亡者数も把握できていない。
 麻疹患者数および麻疹死亡者数の全国集計データは日常診療に直接関係するものではないが,麻疹対策を考えるうえで,またワクチン接種の効果を判定するうえで必要なデータである。さらに,ワクチン接種に無関心な人々にワクチン接種の必要性を説明する上で有益である。定点調査データでは一般の人々には理解を得られにくい。

臨床医の麻疹に関する疑問
a)現行の麻疹ワクチンは流行株に対して以前と同様に有効か。
 抗原性に変化がないといわれていた麻疹ウイルスにも遺伝子の変化が進んでいることが判明している。1950年代の麻疹流行株に由来する現行麻疹ワクチンが現在の麻疹野生株に対して以前と同程度に有効であるか否か疑問が生じている。

b)現在市販されている筋注用ガンマグロブリンは麻疹発症予防に有効か。
 教科書的には麻疹患者と接触した麻疹感受性者に早期に筋注用ガンマグロブリンを規定量注射すれば,麻疹の発症を予防ないし麻疹を軽症化できるとされている。しかし,ガンマグロブリンの原材料が麻疹ワクチン世代の人々から採取した血液であれば,力価が高い麻疹抗体が含まれていることは期待できず,ガンマグロブリンの有効性にも疑問が生じる。

c)どの程度の抗体があれば麻疹の発症を免れることができるのか。
 現在臨床の現場では麻疹抗体測定法として,HI法およびEIA法が広く用いられている。近年ゼラチン粒子凝集法(PA法)も用いられ,研究レベルでは中和法も行われている。しかし,これらの方法によって得られた抗体価と麻疹発症防御との相関は明らかではない。どの測定法によっても高い抗体価があれば,発症の心配はないといえるであろうが,抗体価が低い場合は判断に苦しむ。各種麻疹抗体価と発症防御との関係は今後の検討課題であろう。


[個人的対策案]
 演者は対策として下記の事項を考えている。
1)幼児期での麻疹ワクチン接種を徹底させる。
    ア)小児が医療機関を受診した際に麻疹ワクチン接種歴をこまめにチェックする。
    イ)麻疹が恐ろしい病気であることを周知させるとともに,麻疹ワクチンの安全性と有効性 を広く伝える。
    ウ)麻疹を発病すると入院が必要になることが少なくないが,赤字部門の小児科は全国的に 入院ベットが激減しており,さらに,院内感染を恐れて麻疹患者を受け入れない医療機 関も多く,入院治療を求めても受け入れられないことがあることを知らせ,予防が第1 であることを強調する。
2)麻疹ワクチンの接種開始年齢を生後10カ月あるいは9ヶ月に早める。
 平成11年および12年に当院に入院した麻疹患者は成人も含めて,それぞれ42例,63 例であったが,10-11カ月児は4例,5例であった。さらに,9ヶ月児を加えると,そ れぞれ10例,7例で,全入院患者の10%を超えた。すなわち,麻疹ワクチン接種年齢 を生後10カ月ないし9ヶ月に下げることによって,麻疹患者の10-20%を減らせるも のと推測できる。
3)青少年および若年成人での麻疹ワクチン追加接種を奨励する。
 麻疹ワクチン1回接種済みの小学校上級生から高校生,大学生に麻疹ワクチンの追加接 種を勧めて修飾麻疹患者をなくし,麻疹の感染源を減らす。
4)麻疹ワクチン未接種で,麻疹未罹患ないし既往歴不明の成人に麻疹ワクチン接種を勧め る。
  成人の麻疹感受性者数を減らし,成人社会での麻疹流行を阻止する。これにより社会 経済上の損失も予防できる。なお,成人に麻疹ワクチンを接種する前に,麻疹の既往歴 を確認する目的で抗体検査をする必要はない。
5)成人に対するワクチン接種機関,特に休日対応の接種機関を確保する。
 これまで多くの医療機関でワクチン接種は小児科で行われてきており,成人を受け入れ ない医療機関もある。また受け入れる施設でも通常午後5時前に外来は終了する。現状 では,仕事をもつ成人がワクチン接種を受けたいと思っても,実際上不可能であること が少なくない。成人でのワクチン接種率を上げるためには,夜間ないし休日対応の予防 接種機関の確保が必要になる。
6)ワクチン接種代金に健康保険を適用する。
 現在は,勧奨接種年齢を外れた人々がワクチン接種を受ける際は自費となり,費用のゆ えにワクチン接種をためらう人も少なくない。ワクチン接種代金にも健康保険を適用し て,費用の面でも人々がワクチンを受けやすくすべきである。


[おわりに]
 麻疹流行阻止の基本対策が麻疹ワクチン接種の徹底であることはすでに外国で実証されている。しかし,発展途上国と異なり,麻疹ワクチンが十分供給され,ワクチンの保存や輸送手段も完備し,ワクチン接種を担当する医療職員に不足がなく,幼児にワクチン接種を無料で行える財政的な力を各自治体がもちながら,日本では麻疹ワクチン接種率が伸び悩んでいる。日本における麻疹ワクチン接種率低迷の原因は未だ解明されていない。
 麻疹流行阻止対策には,麻疹ワクチン接種を徹底させることにまさる手段はないと関係者全員が認めていながら,麻疹ワクチン接種率を上げるための有効な対策が打ち出せていない。こうした現状からは,麻疹ワクチン接種を幼児期の1回とし,その接種率を90-95%以上に維持することによって,日本での麻疹流行を阻止しようという方策では,黄河の流れが澄むのを待つことにも似て,かなりの期間目に見える改善は得られないと思われる。
  ワクチン制度の改善を待っている余裕はない。現状の打破は,個々の関係者が,麻疹はワクチン接種によって根絶可能な疾患であることを認識してワクチン接種率を上げようと決意することから始まる。保護者一人一人を説得して早い時期に子どもに麻疹ワクチン接種を受けさせ,また麻疹未罹患の成人にも事あるごとに麻疹ワクチン接種を勧めるなど,各自が自分にできる範囲内で最大限に麻疹感受性者数を減少させるように努めることが麻疹流行阻止への最も現実的な第1歩であろう。


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