第5セッション インフルエンザ情報と対策
インフルエンザ脳炎・脳症
名古屋大学医学部保健学科
 教授 
森島恒雄


インフルエンザに伴う中枢神経系の障害(急性脳炎・脳症)の報告は近年増加している。特に1997-98年、1998-99年冬季、わが国においてA型インフルエンザ(H3N2, Sydney株)の大きな流行がみられ、社会的な問題となった。成人においては特に老人を中心に主に肺炎による多くの死亡例が報告された。一方、小児においては高熱と痙攣を伴い急速に意識障害が進行するインフルエンザ関連急性脳炎・脳症(以下インフルエンザ脳炎・脳症)の報告が相次いだ。これら小児のインフルエンザに伴う急性脳炎・脳症の全国的な実態調査を行い、それに基づいて現在有用な病態診断法や有効な治療・治療法がない本症において対策を立てていくことが重要である。以下に我々が実施した2つの調査の概要をまとめた。

1. 1997-98年冬季のH3N2A型インフルエンザ流行時期に一致して発症し、インフルエンザとの関連が強く疑われた小児の急性脳炎・脳症の死亡例の調査を行った。対象は8都道府県(北海道、千葉県、神奈川県、愛知県、三重県、大阪府、福岡県、熊本県)を選びアンケートを発送して34名の死亡例の報告があった。上記の8都道府県のカバーする15歳以下の小児人口は約31%である。したがって同年度日本全体では100名以上の小児の死亡があったと推定している。その特徴として年齢は2歳が最も多く1-5歳が多数を占めた。約80%に40℃以上の高熱が認められた。神経症状の発現は発熱と同日か翌日に集中しており、多くは痙攣を伴った。急速に意識障害が悪化し、発病後1-3日で死亡した。AST・ALT・LDHなどの異常高値や出血傾向を認めた症例が多かった。インフルエンザの診断は咽頭からのウイルス分離6例、PCR法3例、血清抗体の上昇8例、臨床症状のみ17例であった。その病態を分類すると、(1)Reye症候群、13%(2)Hemorrhagic shock and Encephalopathy(HSE)、33%(3)広義の急性脳炎・脳症、47%(4)急性壊死性脳症、7%であった。

2.1997-98冬季のH3N2A型インフルエンザに伴う小児の急性脳炎・脳症の中で、インフルエンザ感染がウイルス学的にはっきり証明できた症例について愛知県及び千葉県全域の調査を実施した。この2県の15歳以下の小児人口は全国の約10%にあたる。この時期36例のインフルエンザ感染が証明された小児の脳炎・脳症の報告があった。年齢は2歳が最も多く(10例)次いで1歳、3歳、6歳が各5例で、平均4.4歳であった。診断は咽頭からのウイルス分離9例、PCRによるインフルエンザゲノムの検出は14例、EIAキットによる抗原検出は2例、A型インフルエンザ(H3N2)に対する有意な抗体価の上昇は30例に認められた。全例に39℃以上の高熱と上気道症状を示し、発熱から神経症状(痙攣及び意識障害)発現までの日数は2日以内が全体の約90%を占めた。臨床症状は、発熱に加え嘔吐20%、頭痛20%痙攣75%、などであった。検査結果としては脳波の異常ほぼ100%、頭部CTの異常(主に脳浮腫)が60%、AST/ALT/LDHの上昇は症例の約60%に認められた。髄液所見は、多くの例で細胞の増多や髄液中の蛋白の増加は認められなかった。ウイルス学的に診断がついたこれら36名の内で長期的に予後が追跡できた 症例は33例で、後遺症なく治癒したもの17例(52%)神経後遺症を残したもの9例(27%)、死亡例7例(21%)であった。以上の結果から確定診断のついたインフルエンザ脳炎・脳症の予後はきわめて悪く、致命率は約20%と考えられた。これら36例の患者の中でワクチンの接種者は認められなかった。


まとめ
この2つの調査から、小児のインフルエンザ脳炎・脳症は決して稀な疾患ではなく、インフルエンザ流行年では年間少なくとも数百例の発症があり、その中の約20%(100例以上)が死亡していた。今回の調査からもれたと思われる症例もあり、実数はさらにこれを上回ると推定される。発症は急激であり、高熱、痙攣とともに意識障害が急速に進行し死に至る。インフルエンザ発病後数日で死に至ることが判明した。その病態については不明な点が多いが、従来インフルエンザとの関連が示唆されていたReye症候群(一部の症例はそれに近似する)とは異なる病態(いわゆる急性脳炎・脳症、HSE、急性壊死性脳症など)を示す症例が多くを占めた。これは、従来欧米など諸外国からの報告では認めれなかった点である。また本症に対する治療もまだ有効なものは明らかにされていない。従って本症の病態の解明及び早期診断、早期治療法の確立が急務であり、さらに厚生省研究班を中心に現在、1998-99年冬季における小児のインフルエンザ脳炎・脳症の詳細な調査を実施中である。

これらの調査は以下の先生方との共同研究である。
富樫武弘(札幌市立札幌病院小児科) 黒木春郎(千葉大学小児科) 
横田俊平(横浜市立大学小児科) 藤本伸治(名古屋市立大学小児科) 
庵原俊昭(国立療養所三重病院) 杉田隆博(大阪市立都島保健所) 
奥野良信(大阪府立公衆衛生研究所) 楠原浩一(九州大学小児科) 
布井博幸(熊本大学小児科) 黒崎知道(千葉海浜病院小児科) 



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