第3セッション 予防接種



検疫所での予防接種体制
厚生省生活衛生局食品保健課
検疫所業務管理室  
前澤良彦


<検疫の概要>
 検疫は、ヨーロッパでペストがまん延した14世紀に、地中海の諸国が国単位でペストの侵入を防ぐことから始まった。わが国の検疫制度は、明治12年の海港虎列刺病(コレラ)伝染病予防規則に始まり、昨年度までは、昭和26年制定された検疫法と、国際的に取り決めがなされた昭和46年施行された国際保健規則に則して行われていた。平成11年度からは法律第115号「検疫法及び狂犬病予防法の一部を改正する法律」(平成10年10月2日)により一部改正された検疫法と、国際保健規則に則して行われている。

<検疫法改正に伴う、予防接種業務の拡大>
1.検疫法改正の経緯
 国内に常在しない感染症の病原体が船舶又は航空機を介して国内に侵入することを防ぐ目的として検疫法に基づいて検疫は実施されている。しかしながら航空機等の発達による人や物資の高速・大量輸送が可能となり国際化が急速に進んでいる今日、海外へ渡航する日本人および海外からの入国者は近年急増の一途である。また、人に危険性の高いエボラ出血熱等の新興・再興感染症が、この20年余りの間に30数種発生し国際的な問題となっている。これらのことから、人に対し危険性の高い感染症が、世界各地から航空機等を介して短時間かつ多量に我が国に持ち込まれる可能性は今後益々増大することが予想され、検疫を取り巻く環境は大きく変化している。このような状況から総合的な水際対策の強化として検疫法の一部改正が行われた。

2.今回の検疫法改正における主な変更点
(1)国内施策との連動として
@ 検疫対象感染症の見直し(法第2条)
 従来のコレラ、ペスト、黄熱の他に、法律第114号「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(平成10年10月2日)(以下感染症新法)に規定された一類感染症の内エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、マールブルグ病及びラッサ熱が加わった。

A 新感染症に対する検疫規定(法第34条)
感染症新法に規定される新感染症とは以下の条件を満たすもの
   ・ 未知の感染症
   ・ ヒトから人に感染する
   ・ 治療法が確立していない
   ・ 病状が重篤である
   ・ まん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある
このような感染症に対し、検疫が行えるように整備された。

B 隔離・停留規定の見直し(法第15条、16条)
 検疫感染症の患者等を隔離又は停留すべき場所を感染症指定医療機関とするとともに、隔離及び停留に係る解除請求の手続きを整備した。

C 応急措置対象疾患の変更(法第24条)
 従来は、伝染病予防法に規定される法定伝染病のうち検疫感染症以外の疾患であったが、改正後は、感染症新法に規定される二類・三類感染症のうち検疫感染症以外の疾患に改められた。

D 都道府県知事等との連携(法第26条の三)
 感染症新法に規定する一類・二類及び三類感染症の病原体を発見した場合、都道府県知事等に通知するようになった。

(2)渡航者1人ひとりの健康管理支援として
@ 海外における感染症の発生状況等に関する情報の収集及び提供(法第27条)
 国外からの感染症侵入防止のためには、渡航者が海外で感染するのを未然に防止することができるように、渡航前に感染症の流行情報等を提供する必要がある。     このため検疫所では、海外感染症情報の収集及び提供を実施する。

A 申請業務の拡大(法第26条の二)
 検疫感染症に加え、検疫感染症以外の感染症(感染症新法に規定する二類・三類感染症、及び四類感染症の一部)に関する診察、検査及び予防接種が新たに加わった。
 予防接種に関しては、従来から行われていた検疫感染症であるコレラ、ペスト、黄熱に加え、今年度から検疫感染症以外の感染症である急性灰白髄炎、ジフテリア、A型肝炎、狂犬病、日本脳炎、破傷風、麻しんに対する予防接種が追加された。

3.予防接種の選定
(1)検疫感染症に対する予防接種(法第26条の一)
検疫感染症のうち予防接種があるもの
コレラ、ペスト、黄熱

(2)検疫感染症以外の感染症に対する予防接種(法第26条の二)
検疫所の業務は、海外からの感染症の水際防止対策のみならず、海外渡航者が渡航中に感染症に罹患・発病することを未然に防止するため、渡航者の出国前から入国時までの総合的な健康管理支援の一環として、海外での感染症防止のための予防接種の実施は重要な業務である。

@ 検疫感染症以外の感染症の予防接種選定における条件
検疫法の一部改正に伴い新たに設けられた26条の二で対象となる検疫感染症以外の感染症について、感染症新法の2類感染症の他、3類、4類感染症に分類されている58種の感染症から選択を行った。

(ア)海外発生が多い。(海外での発生状況)
3、4類感染症の内、海外で発生することが多い感染症であって、日本国内での発生が少ないか、あるいは発生がない感染症。
(イ)病原性が強いあるいは感染力が強い。(感染した場合の重症度)

        (ア) で選択された感染症の内、病原性あるいは感染力が強い感染症
    病原性が強い感染症とは、感染した場合重篤で、予後が不良であり、治療法がない感染症
感染力が強い感染症とは、通常の生活での感染することがあり、飲食物等で感染する感染症。
(性行為感染症や輸血等によって感染するものは除外)

(ウ)海外渡航者の要望

        (イ) で選択された感染症の内、検疫所で実施した出発直前の海外渡航者に対するアンケート調査
において、海外渡航者が海外で感染する危険があるとして検疫所で、検査や予防接種を要望
している感染症。

(エ)検疫所における検査等
(ア)〜(ウ)で選択された感染症の内、検疫所で予防接種等が実施可能であることを条件とし、最終的な選定とした。

結果として以下の感染症に対する予防接種が選定された。
急性灰白髄炎、ジフテリア、A型肝炎、狂犬病、日本脳炎、破傷風、麻しん

A 選定条件から外れるが、実施される予防接種 
麻しん : 国内発生があり、海外との発生に差がみられない感染症であるが、日本人渡航者による海外諸国での感染拡大が懸念され、出国時の予防接種を実施することにより、海外でのまん延防止となることから、検疫所でも取り組むべき感染症である。

B 検討されたが除外された予防接種
B型肝炎 : 病原性は強いが感染経路が明らかであり、自己努力で予防可能である。
ダニ脳炎 : 日本では未承認のワクチンである。
風しん  : 国内外で感染の危険性に差がない。

4.検疫所で行う予防接種
(1)検疫所で行う予防接種の意義
 日本国内と異なり,海外においては、検疫感染症及び検疫感染症以外にも種々の感染症がまん延している地域が多く、これら感染症の国内への侵入防止を検疫といった強力な手段を用いないまでも、海外渡航者一人ひとりの感染予防の積み重ねにより、病原体が渡航者を介して国内に持ち込まれるのを防止するという視点が有効である。
 熱帯地域特有の感染症が発生している風土病地域に渡航する際、これら感染症の感染予防において、予防接種が果たす効果はもちろんである。さらに予防接種によって獲得した免疫による個々の感染予防の他、帰国後に感染症が国内で流行することを抑えるといった考え方も重要である。
 海外へ渡航する際は、渡航者が渡航先の感染症の発生状況、渡航目的、滞在日数等から予防接種の必要性をよく理解し、状況に応じて必要な予防接種を受け、自分自身の感染予防はもとより家族等、まわりの人々への感染防止に努めることが大切である。また不可避的に生ずる少数の予防接種による健康被害を少しでも減らすため、日常の健康状態をみながら接種を受けられることが必要である。
 検疫所において行う予防接種の効果としては、海外渡航者が海外において危険な感染症に罹患する可能性がある場合に、予防接種を行うことで、感染を予防でき、ひいては当該者が帰国するにあたって、危険な感染症の国内への持ち込みが予防できることが期待される。

(2)予防接種の実施方法の概要
@ 検疫所で行われる予防接種は検疫法第26条及び26条の二に基づいて、外国へ行こうとする者に対して実施する。
A 原則としてすべて任意の予防接種として取り扱い、個別接種とする。
B 検疫所で行う予防接種で、接種1回にかかる費用

         コレラ 330円     A型肝炎  8,000円
ペスト 8,200円 狂犬病  6,400円
黄熱 1,500円 日本脳炎 4,300円
急性灰白髄炎 2,900円 破傷風 3,500円
ジフテリア 3,200円 麻しん 5,900円


C 各種予防接種証明書の発行にかかる費用 : 証明書代 720円
D 検疫所で実施する予防接種は、予防接種法に規定されている定期の予防接種と同一種もあるが、原則として同法に基づく定期予防接種としての接種は行わない。 定期の予防接種対象者が海外渡航を目的に必要に応じて、検疫所で任意の予防接種としてワクチンを接種する機会も想定される。この場合、予防接種の求めに応じるとともに、母子健康手帳への記載を求められた場合は記載に応じる。
E ワクチン接種時の診察は、予防接種法に準じる。

(3)予防接種を実施している検疫所
全国103箇所の検疫所のうち、13箇所の本所(小樽、仙台、新潟、成田空港、東京、横浜、名古屋、大阪、関西空港、神戸、広島、福岡、那覇)、3箇所の支所(門司、長崎、鹿児島、いずれも福岡検疫所支所)、において予防接種が実施されている。
   (但し、門司と長崎はコレラのみ、鹿児島は黄熱のみ)

5.昨年の予防接種実績
全国検疫所で昨年1年間(平成10年1〜12月)に行われた予防接種者数は、黄熱9,280人、コレラ2,010人でありペストの接種者はいなかった。
黄熱は、国際保健規則で規定され黄熱汚染地域に渡航する際に国際的に要求される予防接種である。昨年1年間における黄熱の予防接種者の年齢は20〜30歳代が最も多く、次いで40〜60才代に多かった。月平均で773人が黄熱の予防接種を受けているが、海外旅行シーズンの夏および春休み前の7月(1,211人)、及び1月(925人)に接種者が多く記録されている。コレラの接種者数は20才代に多く、夏および春休み前の2月と7月の接種者数が多かった。

6.海外における感染症の状況(検疫所で行う予防接種にある感染症)について
(1)コレラ
 19世紀において、インドのガンジス川デルタ地帯に常在していたコレラは、6回の世界的大流行を起こしたが、20世紀の前半には、1947年のエジプトの流行を除いて、アジア地域に発生が集中した。また1961年頃からエルトール型のコレラが世界で流行するようになり、1991年にはペルーで大流行し、患者数322,562例、その内2,909例の死亡例がWHOに報告されている。

 世界でみると、1991年、92年、93年に、およそ80ヶ国からWHOに報告された患者総数(死亡者総数)はそれぞれ 594,691例(19,295例)、461,788例(7,959例)、376,848例(6,781例)と報告された。
 その後コレラ患者数は漸減傾向にあるが、1996年の世界の患者総数は143,349例、この内死亡例は6,689例であり、現在でも世界で多数報告されている。

(2)ペスト
 世界のペスト発生報告は、以前はサイゴン(現ホーチミン市)を中心としたベトナムに最も多く見られていたが、ベトナム政変以後、報告数は著しく減少している。
 アフリカでは、タンザニアに1983年以来年々多数の発生報告があり、1987年356例(死亡34例)発生、またザイール(現コンゴ)は同年474例(死亡160例)の発生報告があり、この年の全世界の1,043例(死亡214例)の80%以上を両国の発生が占めていた。
 南米では、ブラジル、ペルーに少数の発生報告が毎年見られている。
 南アジアでは、1994年インドのSurat市に突然肺ペストの発生がおこり、たちまちのうちにインドの各都市に発生が波及した。876例の推定患者発生と54例の死亡が報告された。

 1996年にWHOに報告された10ヶ国からのペスト患者総数は3,017例、その内死亡は205例となっている。南北アメリカ大陸では減少傾向にあるが、患者総数の85%以上(2,576例)はアフリカ大陸からの報告である。
 1987年から1996年までの10年間の経過をみると、ペスト患者発生数はわずかながらも増加傾向にある。また、この10年間で延べ21ヶ国からペスト患者が報告され(そのほとんどが腺ペストである)、延べ総数は17,189例、この内死亡例は1,595例である。

 北アメリカでのペスト患者発生数は少ないが、この地域への渡航者は依然として多く、現在でもペストは常在することから、森林公園やキャンプ地などでリス、野ネズミなどの小動物に不用意に手を出さないようにすることや、動物が保有しているノミに注意することが必要である。

(3)黄熱
 アフリカでは広く、まん延しており、毎年一定の流行がある。例えばナイジェリアでは1986年から1989年までの3年間で6,232例の患者が報告され、1987年にはマリで450例の患者が報告され、この内145例が死亡している。1995年には、ペルーで流行が発生し、6ヶ月間で440例の患者が発生し、この内169例が死亡した。また南米では、アマゾン川流域を中心に流行が報告されている。
 国際保健規則に基づき要求されない場合でも流行情報に注意し接種することが望ましい。

(4)急性灰白髄炎(ポリオ)
 ポリオウイルスは、抗原性の違いによりT型、U型、V型の3つの型があるが、世界各地で流行を起こしているのは、病原性の強いT型である。しかし、WHOの根絶計画により世界各地でのポリオの発生は減少傾向にある。
 地域別にみると、南北アメリカ大陸では1991年のペルーの患者を最後に発生がなく、1994年には根絶宣言がだされている。我が国が所属する西太平洋地域では、1990年には年間約5,600名あったポリオが1997年3月19日カンボジアで発生した症例を最後に発生がなく、2000年には根絶宣言を予定している。中央及び西ヨーロッパ、南・北・東アフリカ、アラブ半島でも発生の報告がない。しかしながら、依然として70の国々ではポリオが存在しており、1997年はチェチェニア(ロシア)、パキスタン、ザイール(現コンゴ)で流行が報告された。

(5)ジフテリア
 ジフテリアは、効果的な予防接種により稀な疾患となってきているが、アフリカの一部の国々及び東ヨーロッパを中心に近年成人及び予防接種を受けられなかった子供の間での流行が再び起こっており、WHO(世界保健機構)のEPI(拡大予防接種計画)では、予防接種率が90%以上に保つことを各国に対して推奨している。ジフテリアの流行はさらに拡大しており、ロシア東部にも到達しているとの報告がある。
 咽頭ジフテリア、喉頭ジフテリア等の流行地へ旅行する者は完全な予防接種を行う必要があり、予防接種完了者も追加免疫を受けることが望まれる。

(6)A型肝炎
 全世界に散発性あるいは流行性に発生し、特に環境衛生あるいは個人衛生が不良な地域や施設内に認められてきた。幼若年層に好発し、少なくとも西欧各国では秋から冬にかけて好発するとされてきた。従来、わが国では好発季節が必ずしも明らかでなかったが、最近では2〜5月に好発する傾向のあることが認められている。
 東南アジア諸国などの開発途上国では、A型肝炎がなお常在感染症となっており、すでに幼小児期からHA抗体を高率に保有しているのが認められ、これらの地域への旅行者あるいは長期滞在者に対する感染予防は重要となっている。

(7)狂犬病
 狂犬病はもともと動物の病気で、アジア大陸ではオオカミ、キツネ、ジャッカル、マングース、野犬など、アメリカ大陸ではスカンク、アライグマ、吸血性のコウモリ、キツネ、ヨーロッパではキツネにおける狂犬病の発生が見られる。
 現在、狂犬病のない地域は、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、台湾、そのほかの太平洋諸島、西インド諸島の一部、英国、アイルランド、ノルウェー、スウェーデン、スペイン、ポルトガルである。

(8)日本脳炎
 正確な統計としてまとめられていないが、アジア地域ではもっとも頻度の高いウイルス性脳炎であり、中国、その他の東南アジア、インド及びオセアニアで毎年約50,000件の散発及び流行が報告されている。

(9)破傷風
 世界的に見ると年間100万人近くの死亡例があり、その70%は新生児で特に発展途上国に多い。WHOの勧めているEPI(拡大予防接種計画)の重要な課題の1つである。例えば、1994年に世界中で80%の子供が1歳になる前にDPTを3ドース受けた成果が在る一方で、母親に免疫がないことから、毎年約50万人の子供が出生後3週間以内に死亡している。高危険地帯では、母親に対する予防接種と安全な出生対策を同時に進めるプログラムを進めている。

(10)麻しん
 1974年には、麻しんによって世界中で約800万人の子供が死亡し、約1億3千万人の患者が発生していたが、WHOによるEPI(拡大予防接種計画)推進によって1994年には、死亡者を100万まで減少することができた。患者発生では、WHOに報告された1990年の全世界の麻しんの報告は135万例であったが、1995年には52万例と減少している。しかし、麻しんによる死亡の90%が途上国で起こっており、5歳以下の死亡の10%を占めている。また死亡だけではなく、発育障害、失明、難聴などの後遺症が大きな問題となっている。但し、これらの報告数については、未報告の国があることなどから、実際の発生している麻しんの全数を示すものではないことに留意しなければならない。



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