第1セッション 伝染病予防法改正について


日本医師会(臨床)の立場から



日本医師会常任理事
小池 麒一郎


 ご承知のとおり、最近の感染症の様相は大きく変貌し、加えて国際交流の活発化に伴い、総合的な感染症対策が急務となってきております。現行の伝染病予防法は、このような現状に十分に適応しなくなり、101年振りに、新たに感染症予防法案として国会に提出されましたが、残念ながら継続審議となりました。 本日は、感染症対策について、日本医師会はどう対応しているのか、その実態をお話しいたしご理解を得たいと思っています。
 地域医療の立場から感染症対策をみればいくつかの重要なポイントが挙げられます。
 先ず、航空機利用による国際交流が活発化し、世界各地の感染症が潜伏期内に空港検疫所を無症状のまま通過し、地域の生活の場等で発症する危険性が高まったことであります。
 地域医療の場における初動診療が、患者の生命を守り、周辺への拡散を防ぐために極めて重要な役割を持つことになりました。
 また、エネルギー、食糧をはじめ種々の物資や動物等の輸入が盛んとなり、特に、食糧自給率が著しく低下し、ありとあらゆる食材が輸入に大きく依存している現状にあります。
 先般のオレゴン州輸入のカイワレ大根種子に付着したと考えられるO157感染症の家族発生例や、海外渡航歴のない人々におけるコレラ、腸チフスの発生等、をみても種々の病原体が偶発的に搬入される危険性が増大していることは明らかであり、このような状況に適格に対応するためには以下の事項が重要となると思います。
 先ず、世界各地での感染症発生状況やその実態について、正確、迅速且つ具体的に情報伝達されなければなりません。地域の医療機関での対応の成否は情報に大きく依存していると思います。例えばどこで赤痢患者が何人発生したかを直ちに知ることによって、周辺医療機関で赤痢を看過する例が著しく減少するのであります。
 さらに、地域での防疫システムに積極的に関与していくことが大切であります。保健所等への届出の徹底をするとともに地域医師会が、保健所に設置される感染症診査協議会に積極的に参加し、感染症入院患者の病状と治療、経過、入院期間の適否等、地域医療の立場から関与していかなければなりません。
 なかでも最も大切なことは、近年関心が薄まってきた感染症全般に対する意識を改め、造詣を深め、診断能力を高めることであります。
 この再教育をおろそかにして、感染症に対する地域医療の責務を果すことはできないと思います。
 そして、地域医療の場における感染症治療の分析、成績の集約等、学術領域についても積極的に関与していく姿勢が求められるのであります。そのよい例示として、O157の集団発生に関し、大阪府医師会、北海道医師会、盛岡市医師会、堺市医師会でその詳細な分析が報告されております。

 日本医師会では、エイズ第Wルートの問題等、エイズ問題に対しては、エイズ感染症会議を開催し、検討を重ね、さらに、各都道府県医師会に対し、医師会としてのエイズ対策活動についてのアンケート調査を行いました。
 また、岡山県に端を発した病原性大腸菌O157の集団発生、特に堺市での爆発的集団発生、一昨年の老人ホーム等でのインフルエンザの流行等の状況を踏まえて、危機管理の観点から、各種の感染症に対する迅速かつ的確な対策を講ずることができる体制の整備が急務であると認識し、平成9年1月、感染症危機管理対策室を設置して、感染症危機管理対策を推進していくことにしたわけであります。設置後約1年5か月が経過いたしました。
 感染症危機管理対策室の活動について申し上げたいと思います。
 感染症危機管理対策室は、地域に的確な感染症情報を迅速に提供し、地域からの情報も吸収して、双方向の情報伝達を行うことを前提とし、以下の方針を立てました。
第1に
 最新の感染症情報を迅速に提供する等の予防対策の推進
2番目として
 感染症の専門家の指導、助言による診断・治療方法等についての情報提供
第3に
 重大な様相を呈する感染症が発生した場合、危機管理対策として、その発生状況、診断・治療方法等、迅速な情報提供を行うとともに、支援体制を確立する
第4として
 インターネット等の活用による地域における感染症発生の迅速な情報把握等
 であります。

 平成9年度においては、先ず、都道府県医師会との双方向の情報交換を迅速かつ円滑に行うために、都道府県医師会における感染症危機管理担当理事を選任していただき、その方々の名簿を作成し、緊急時の連絡体制を整備しました。
 また、最新の感染症情報を迅速に提供する等の予防対策の推進及び都道府県医師会と同時点における発生状況に関する情報の共有化を図り、万一感染症の集団発生が起きた場合には、具体的な対応策がとれる体制整備を促進するため、昨年の6月11日より、都道府県医師会、厚生省等から提供された感染症情報を「感染症・食中毒情報」としてとりまとめ、FAXで都道府県医師会へ情報提供を開始しました。「感染症・食中毒情報」は、6月10日で、ちょうど1年を迎え、231号を数えるに至っています。
 さらに、国立感染症研究所感染症情報センターや成田空港検疫所等より、WHO、CDC等からの情報をとりまとめた最新海外感染症情報の提供を適宜電子メールで受け、これらの情報提供も平行して行っております。
 これらの情報は、日医のインターネットのホームページ(http://www.med.or.jp)にも掲載し、アクセスできるようにしてあります。その他より重要と判断される情報、たとえば香港での新型インフルエンザについては、室長名をもって、都道府県医師会へ情報提供を行いました。
 一昨日も、我が国においても昨年死亡例が報告されている、手足口病のエンテロウイルス71型に関する情報提供を都道府県医師会を通じて、関係医療機関に周知方したところであります。
 また、厚生省と協力して、エボラ出血熱等新種の感染症について、感染拡大等の危険性があると判断された場合に、治療法、発生状況、感染源などの情報を医療機関、都道府県医師会、郡市区医師会等に対して、緊急に情報提供を行う「緊急時感染症FAXサービス事業」の体制を整備しました。
 幸いなことに、「緊急時感染症FAXサービス事業」は、いまだ活用されることなく過ぎております。
 O157感染症対策については、都道府県医師会の感染症危機管理担当理事に集まっていただき感染症危機管理対策協議会を開催し、各地の事例報告 例えば堺、帯広、盛岡でのO157や埼玉県越生町のクリプトスポリジウム集団発生等の報告を受け、特に前回は竹田美文国立国際医療センター研究所長からO157感染症に関する詳細な講演を受け賜った次第であります。
 特に、O157感染症につきましては、現在、その治療と合併症に関する調査を開始しており、後で申し上げます。
 また、先月の長崎の赤痢、さらには先日も富山で食中毒が発生しており、学校給食において、食中毒の発生が跡をたっておりません。繰り返しての改善要請にもかかわらず給食施設の衛生管理の改善が進んでいないことを踏まえて、すでに10月24日に坪井会長名で町村文部大臣宛に、学校給食制度及び実施方式について根本的に再検討を行い、学校給食の安全性を確保するよう要望書を提出しました。

 厚生省の中央児童福祉審議会の母子保健部会の席上、保育所における給食の業務委託の問題が議論されたときに、保育所では、乳幼児に給食を提供しているにもかかわらず、栄養士、調理師の管理が求められていないのを知って、驚きました。
 私どもの対策室には保育所で食中毒が発生したという情報が幾つも寄せられており、保育所給食に関し本質的改革が必要であり、中央児童福祉審議会においても、改善すべき旨強く発言いたしました。そして、平成10年2月18日付の「保育所における調理業務の委託について」の厚生省児童家庭局長通知のなかで、「保育所全体の調理業務に対する保健衛生面・栄養面については、保健所や市町村の栄養士の活用等による指導が十分に行われるよう配慮すること」の文言を盛り込むようにいたさせしたが、未だ根本的な解決をみるに至っておりません。
 厚生省に調べさせたのですが、平成9年の学校給食による食中毒は、13件、約2,500人に対し、保育所は、32件、約1,100人であります。保育所は、小規模なため、人数こそは、学校給食より少ないですが、件数は2.5倍であります。
 ちなみに病院給食は16件、約500人で、このような状況は誠に遺憾であります。
 保育所の給食問題は、保育所嘱託医の職責も含めて、その改善に対し今後十分に注視していきたいと思っております。

 次に、インフルエンザ対策については、香港での新型インフルエンザ情報及び国内での流行状況等について、迅速に情報提供を行いました。また、都道府県医師会の協力を得て、インフルエンザの予防接種を実施している医療機関をリストアップし、高齢者等、国民からの電話等での問い合わせに対して、情報提供できるような体制を整備しました。インフルエンザの予防接種が、任意接種になったことにより、インフルエンザの予防接種をする医療機関の数も減り、特に成人では、どこでできるのか把握できなくなっておりました。したがって、今後医師会における住民サービスの一環として役立つと思っています。
 さらに、国民の生命、健康を守る立場から、12月19日、坪井会長名で小泉厚生大臣宛に、ワクチンの確保等、早急に新型インフルエンザに対する危機管理対策を講ずるよう要望書を提出しました。
 また、国民への感染症予防対策の普及、啓発としましては、食中毒予防パンフレット及びエイズ予防パンフレットを都道府県医師会を通じて、住民への講習会、健康教育の場で配付しました。
 先日も長崎の結核予防全国大会に出席し、赤痢集団発生について状況見聞して参ったところであります。
 以上のような取り組みにより、都道府県医師会を始めとした、地域医療の場における感染症への関心は以前より大分高まったと思っております。

 次に、国会において残念ながら継続審議となりました「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律案」と、私共の対策室の取り組みについてお話いたします。

 我が国がボーターレスとなった新興再興感染症に囲まれている状況にあって、国民の健康を守り安全を確保するためには、現代感染症の実態に適合した感染症対策が何としても必要であり、新しい法律の成立が早急に望まれていると思います。
 今回の法律案においては、当然ながら症状の重症度と感染力によって1類から4類に分類され、さらに何が起きるかわからない状況で、未知の新感染症まで包含されております。
 らい予防法等、過去の関連法の反省にたち、私も委員でありました公衆衛生審議会伝染病予防部会基本問題検討小委員会で18回、ワーキンググループを加えると30回以上、審議を十分に尽くしました。患者さんの行動の制限も、人権に配慮し、手続保障として条文にも盛り込んであります。例えば、30日を超える入院に対する不服申し立てには、5日以内に厚生大臣が裁決することが規定され、また、各保健所には、医師以外の学識経験者も加わった感染症診査協議会が設置され、入院の妥当性について協議されることになっています。
 医師の立場からみますと、手続保障にあまり重きがおかれますと、感染症の拡大防止に大丈夫かという心配があったことも事実であります。しかし、法案要綱は、公衆衛生審議会で、全員一致で了承されたものであり、小委員会報告書の内容は、十分に法案に盛り込まれていると思っています。去る4月21日の参議院の国民福祉委員会、5月29日の衆議院の厚生委員会にも参考人としてその旨申し上げて参ったところであります。
 衆議院厚生委員会の質疑の概要は、医事新報6月6日号に掲載されておりますので、ご覧いただければと存じます。

 私は、感染症対策として、予防こそが第一義で、したがって、予防接種事業が非常に重要であると思っています。
 最近、一部地域で麻疹が流行したのでありますが、当然とはいえ予防接種をしていなかった子どもがほとんどであります。私共は、予防接種率が著しく低下していることを憂慮しており、予防接種に対する国家的再認識が必要で、国民の健康の安全保障、という認識で取り組むべきであると思っています。
 したがって、今後、国において安全性の高いワクチン開発等を含め、予防対策に十分な予算措置を図ることが重要であり、さらに、感染症に関する研究の推進、感染症に関する医師の再教育、感染症指定医療機関の整備をはじめとした十分な財政的支援が必要不可欠であると考えております。
 今回の長崎の赤痢集団発生に際しても病床の確保に支障があり、過度の不足から他の都市居住学生の入院を拒否したという事態が起こっていました。ボータレスな感染症には地方自治体の枠を越えた国の責務が求められると考えさせられた次第です。
 いずれにしても今回の法案は、我が国の感染症対策の骨格をなすものと理解しておりますので、継続審議となったことは誠に残念であります。感染症の脅威を考えたとき、国民の生命、健康を守るために1日も早く感染症新法が成立することを期待しております。
 また、感染症対策の推進にあたっては、行政、医師会、研究機関等の関係者が、それぞれの責務を果たすとともに、密接な連係を図って総合的な対策を確立する必要があります。
 今後、医師会の責務としては、感染症に対する医学的知識、診断能力等を高めることが肝要であります。
 したがって、いままで申し上げましたことを踏まえ、日本医師会の感染症危機管理対策室では、昨年度の活動に加えて、平成10年度は新たに3点を柱として取り組んでいきたいと考えております。
 一つは、法案が成立した場合に、その内容と運用について、周知、徹底を図るということであります。
 具体的には、本法案が成立しましたら、直ちに、厚生省と合同で、都道府県医師会の担当理事と都道府県の担当者を招集し、説明会を開催したいと思っております。
 次に、腸管出血性大腸菌感染症の治療に関する調査の実施であります。
 お配りしてあります資料をご覧いただきたいと存じます。
 本件に関しては、平成8年8月2日、坪井日医会長と菅前厚生大臣との連名で、「一次、二次医療機関のためのO−157感染症治療のマニュアル」を発表しており、平成8年9月には、盛岡市の小学校での集団発生に際し、これに準拠して盛岡市医師会が即応体制を整えられた結果、感染者220名中入院僅か6名、という成果をあげられたところであります。
 しかしながら、一部にVerotoxinとHUSの発生に関し抗菌薬の早期使用に批判的な向きもあり、国内、国外を問わず、未だ、統一的な見解が得られていない現状にあります。
 したがって、わが対策室として臨床データの集積を目的として、特に、抗菌薬の使用状況とHUSの合併頻度等について調査を行うものであります。
 調査対象は、全国の診療所を含むすべての医療機関とし、調査開始は、腸管出血性大腸菌感染症の多発時期を迎える6月1日以降、平成10年度中を予定しております。
 感染症危機管理対策室の専門委員である、神谷齋(国立療養所三重病院長)、木村三生夫(東海大学医学部名誉教授)、堺春美(東海大学医学部助教授)、清水喜八郎(聖マリアンナ医科大学客員教授)、竹田美文(国立国際医療センター研究所長)、山崎修道(国立感染症研究所長)のほかに、竹田多恵(国立小児病院感染症小児部長)、城宏輔(埼玉県立小児医療センター副院長)にもご指導ご協力をいただいて調査票を作製し実施するものであります。
 各都道府県感染症危機管理担当理事のネットワークを利用し、各都道府県医師会から寄せられている感染症・食中毒発生情報と照合しつつ洩れることが少ないように進めたいと思っております。
 日本医師会として、こうした調査は初めてと思いますが、でき得る限りで臨床データの集積に努めたいと思っています。
 本日、ご出席の先生方にも、本調査にぜひご協力をお願いする次第であります。
 3番目は、感染症診断・治療マニュアル(仮称)の作成であります。感染症予防法案には、1類から4類まで感染症が定められておりますが、これらの感染症の診断や治療方法等をコンパクトにまとめた冊子を作成して、
地域医療の現場に配付し、感染症についての生涯教育の一環といたしたいと考えております。斯界の学識者のご協力を仰ぎたいと考えていますが、やるべきことが多く、色々のご教示をいただきながらなんとか実行したいと思っている次第です。
 以上、雑然とお話いたしましたが、日本医師会としましては、国民が感染症に対して、いたずらに不安感を持つことなく、安心して健康な生活を送れるような医療体制の構築にむけて引き続き努力する所存でありますので、何卒ご理解とご協力をお願い申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。


 



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