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 感染症の話 2000 年第30週(7月24日〜7月30 日)掲載

◆最近秋田県においてエキノコックス症と判断された症例について
 −今後の注意点を考える−

秋田大学医学部寄生虫学教室 吉村 堅太郎

発端と経緯
 1999年10月に秋田県においてエキノコックス症(ここでは狭義の多包虫症を指す) が発生したとの報道は、その直前に青森県においてブタでエキノコックスの感染が発見されたとの報道とも相まって一時全国的な話題となった。
 筆者は、このニュースがメディアに流された直後に、患者が入院していたA病院の 病理部から、切除された肝臓の病変が果たして多包虫症であるか否かの同定を依頼された。その結果、肝臓の病変内に見いだされた虫体はエキノコックス(多包虫)ではなく、形態学的に肝蛭(Fasciola sp.*の幼若虫であることが分かった。筆者らはその後、本症例がエキノコックス症であると診断された時に用いられた血清をも入手し、dot-ELISA(12種の蠕虫抗原)、ELISA(肝蛭、多包虫、日本住血吸虫の抗原)、 Western blotting(肝蛭抗原)、ゲル内沈降反応(肝蛭抗原)を用いて血清学的な検証をも試みた。その際には、肝蛭症陽性患者血清をも入手し、陽性対照とした。その結果、本症例はdot-ELISAで肝蛭抗原に対して強陽性を示し、その反応は陽性対照血清のそれよりも強いものであった。dot-ELISAでは、患者血清ならびに陽性対照血清のいずれもがマンソン裂頭条虫のプレロセルコイド抗原に対してごく弱い交叉反応を示した。他方、ELISAでは、多包虫抗原に対しても陽性反応を示したが、肝蛭抗原に対する反応の方が著しく高く、多包虫抗原に対する反応は交叉反応と判定された。また、ゲル内沈降反応では、患者血清の沈降線と陽性対照血清の沈降線が完全に融合していることから、本症例は血清学的にも肝蛭症であることが確定した。
 それでは、本症例においてなぜ当初エキノコックス症と診断されたかを考察し、今後、エキノコックス症のように、感染症新法で医師に届け出義務のある4類感染症の届け出の場合には、どのような注意が必要かについて提言を試みたい。


 *日本産肝蛭には肝蛭(Fasciola hepatica)と巨大肝蛭(F.gigantica)の2種類が入り混じって分布していると考えられており、本症例の虫体は成熟虫でもなく、また全体標本を検索することもできなかったので、あえて虫種の同定は控え、Fasciola sp. としておく。

症状等
 まず初めに、エキノコックス症と肝蛭症の症状、検査所見などについて略述する。 多包虫症は緩慢に経過し、臨床的に肝の腫大を認めるまでに数年から10年位を要する(潜伏期)。肝腫大の増大とともに右上腹部痛、季肋部不快感、緊張感を訴え、肝腫大は4〜5横指に及び、肝障害を伴うようになる(進行期)。末期になると肝障害がさらに進行し、腹水、下肢の浮腫、黄疸などを伴い、多くは悪液質に陥り、肝性昏睡で
死亡する。好酸球増多は認めるものの、その程度は単包虫症より一般に低い。表面に凹凸のある大小不同の硬い肝腫瘤を触知し、腹腔鏡検査では、病巣は灰白色ないし黄白色を呈し、病巣の周辺部に散在する小嚢胞が特徴である。腹部単純X線撮影や超音波検査で石灰化像、また、X線CTで腫瘤による不整な充実性病巣と中心部の液化や石灰化像、小嚢胞集合や大嚢胞が認められる。
 一方、肝蛭症では、無症状のこともあるが、通常、急性期には虫体の肝通過に伴う肝実質の壊死や出血、細胞浸潤等を招来し、胆石様の心窩部または右季肋部の疝痛様発作を示す。発熱を見るものも多く、悪心、嘔吐、咳、食欲不振、体重減少、黄疸、蕁麻疹などの症状がこれに続く。血液像では、白血球増多、特に好酸球増多が著明で、時に80%に達する。虫体が、胆管に定着すると慢性期に移行し、持続的右季肋部痛、肝腫大、不規則な発熱、黄疸が現れ、胆石症、胆嚢炎を伴うこともある。成虫寄生期には十二指腸ゾンデで採取される胆汁内容物中や糞便中に大型の虫卵(肝蛭卵は125〜150×65〜90μm、巨大肝蛭卵は150〜190×75〜95μm)が検出される。肝蛭症では時に皮下、腹腔内、その他の異所寄生にも注意が必要である。腹腔鏡検査では肝表面に白色ないし黄色の斑点や隆起が見られる。腹部の超音波、CTでは肝内に嚢胞様低エコー像を1個ないし複数個認め、直径は1cmから数cmに及び、境界不整で内容も不均一である。

問題点
 さて、今回の症例では、主治医が某研究所に血清診断の依頼を行った際、当該患者は「臨床的にエキノコックス症の疑いがあるので検査してほしい」、と血清を送付したもののようである。一方、研究所側もこの依頼に応じて送られてきた血清について多包虫抗原を用いたELISA法とWestern blotting法を行い、前者で疑陽性、後者で陽性との結果が出たので、それを主治医に報告したものである。新法での報告基準は、診断した医師の判断により、症状や画像所見から当該疾患が疑われ、かつ、病原体に対する抗体が検出されれば届け出ることになっているので、今回も手続き上の問題点はなかったと考えられる。
 しかし、エキノコックス症の症例が少ない地域においてエキノコックス症について経験の少ない医師が本症を疑い、血清診断を依頼するときには、様々な注意が必要である。例えば、血清診断を依頼するときには、患者の病歴、症状、旅行歴等はもちろん、超音波検査、X線CTなどの画像診断所見や血液所見、生化学検査所見をも併せて提示することが望ましく、検査機関の医師もこの点を考慮し助言することが望ましい。さらに、血清診断の前にエキノコックス症と他の寄生虫性疾患との類症鑑別についてあらかじめ経験を有する研究機関に問い合わせを行うとよい。 
 エキノコックス症について特に詳しい研究機関としては北海道立衛生研究所、旭川医科大学寄生虫学教室、北海道大学大学院獣医学研究科寄生虫学教室、弘前大学寄生虫学教室、横浜市立大学衛生学教室があり、その他の寄生蠕虫疾患の検査や問い合わせに応じてもらえる機関としては宮崎医科大学、東京医科歯科大学、杏林大学、私ども秋田大学等の寄生虫学または熱帯医学関係教室、ならびに国立感染症研究所、国立公衆衛生院、奈良県衛生研究所等がある。
 今回の症例は、1999(平成11)年6月4日に右下腹部痛および右側腹部痛が出現した際、A病院で腹部X線検査、腹部超音波検査等を受けており、特に異常を指摘されていなかった。ところが、9月に再び腹痛が出現し、近医で検査を受けた際胃ポリープの存在を指摘され、9月9日にポリープの内視鏡的切除を目的としてA病院に入院した。その際には、著しい好酸球増多症(62.9%)が発見され、画像診断で肝に多房性の膿瘍を指摘され、臨床的にエキノコックス症が疑われたと言うものである。つまり、6月の時点では、肝に明らかな病変を認めておらず、3カ月後にこのような巨大な病変が出現したことを考えれば、エキノコックス症の可能性は否定的である。従って、たとえ多包虫抗原に対して血清学的に陽性反応を示したとしてもエキノコックス症の可能性は少ない。今後、臨床医にとってエキノコックス症の場合、病変形成までに通常5年〜10年の歳月を要することの認識が不可欠である。今回の症例で、もう1つ重要なことは、極めて高い末梢血好酸球レベルであり、エキノコックス症でも多かれ少なかれ好酸球増多が起こるが、このように高い好酸球レベルは通常包虫以外の内蔵幼虫移行症で認められるものである。
 さらに、決定的に重要なことは、もし肝臓の病変部分が外科的に切除されている場合や、生検がなされている場合には、最終的な診断はあくまでも病理組織学的に行われるべきことである。つまり、組織学的にエキノコックス虫体が認められるか否かが重要である。

結 論
 今回の症例から学ばねばならないことは、臨床的にたとえエキノコックス症が疑われていても、最初のスクリーニングの段階では、肝臓寄生の蠕虫あるいは虫体の体内移行中に肝臓に傷害が起こる可能性のある蠕虫を念頭に置いて多種類の抗原を用いた血清学的試験を試みるべきことであろう。その際に用いる血清学的方法はdot-ELISAでも他の血清学的方法でもかまわない。血清診断を依頼される方では、詳細なデータを提示され、診断について助言を求められぬ限り、主治医の依頼通りに検査する他はない。血清学的検査はあくまでも補助診断の価値しかなく、最終的には主治医が総合的に判断する他ないことを銘記すべきである。
 

 なおエキノコックス症については、IDWR 1999年第41週(10月11日〜17日)通巻第1巻第28号「感染症の話」に解説記事が掲載されている。

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編集長より:本症例は、IDWR 1999年第41週(10月11日〜17日)通巻第1巻第28号、今週の発生動向総覧-4類感染症(全数報告)の中で、秋田県より報告のあったエキノコックスの1例として掲載されたものである。本症例はその後の詳細な検討によりエキノコックス症が否定され、感染症の届け出報告より削除された。最終診断(肝蛭症)に至る経過は、今後類似症例に接した場合の鑑別診断上、多くの示唆に富むものと考え、秋田大学吉村教授に寄稿をお願いしたものである。
 これまでのIDWRにおける感染症の話は、感染症法に規定された疾患についての解説を掲載してきたが、今後このような解説、トピックスなども本欄に掲載したいと考えている。]

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