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Vol.16 (1995/6[184])

<国内情報>
日本におけるブルセラ症の発生について


 近年,わが国では撲滅されたはずのブルセラ症が,1994年および1995年にそれぞれ1例ずつ発生した。日本における動物およびヒトのブルセラ感染の実態について概要を報告する。

 1. 感染源の状況

 ブルセラ症は感染源となる動物種および感染動物の消長と深くかかわりあって発生する。ヒトからヒトへの感染はまれで,感染の主流ではない。

 1953年以降,輸入牛からのブルセラ症の流行が新たな問題となり,医学、獣医学の専門家からなる委員会が組織された。委員会ではヒトと動物の抗体調査の実施が決められた。

 1956年〜65年に実施した凝集反応による抗体調査の結果,ヒト21,346例中陽性は95例(0.44%),乳牛39,623例中陽性は1,142例(2.9%)であった。この乳牛の調査は法令による定期検査以外のもので,他の家畜の抗体価(反応)は低かった。

 1968年,持続感染症の摘発のためIgG抗体を検出する新しい診断基準を採用し,汚染群は感染牛がなくなるまで追跡調査することとした。

 検査と洶汰の結果,わが国で最後にBrucella abortusが検出されたのは,1970年の北海道根室・釧路原野の反応陽性牛からであった。それ以降,菌が検出される反応陽性牛は出ていない。国内の検査および輸出入の家畜の検疫は厳重に継続され,国内の清浄度は維持されている。

 2. 感染例

 1)1976年,島根県の赤十字病院に神経症で入院中の少女の髄液からB. abortus 1型が分離された。感染源は特定できなかった。

 2)インドに出張した事務職員が帰国後の1980年末に発熱と体の不調とを訴え,国家公務員共済大船(現栄)病院内科に入院した。投薬中にもかかわらず血液からBrucellaが9回にわたって検出された。検査に当たった検査技師は翌1981年微熱を訴え,発熱初期および投薬3カ月後まで計5回にわたって血液からBrucellaが検出された。本菌はB. melitensis血清型3型(abortus型の抗Aとmelitensis型の抗M単相血清の両者に凝集)であった。両例とも凝集価,CF価が長期間持続し,8カ月後に陰転した。

 3)1994年3月に発熱,胸痛,全身リンパ節腫脹で入院した38歳男性の肺生検組織からB.abortusが検出された。患者は1993年7月より発熱,胸痛が出現し,結核の診断のもとに入院加療していた。症状改善のため同年初冬にはいったん退院したが,再発として今回再入院となった。抗体検査で凝集価陰性、CF価陽性であった。海外旅行歴はない。

 4)1995年2月,豊橋市民病院小児科に入院中の幼児の血液および髄液からBrucellaが6回にわたって検出された。本菌はファージ感受性,抗M単相血清の凝集性からB. abortus 4型と同定された。患児,ペルー人の母親ともに血清凝集価がやや高かったが,投薬後陰転した。

 3. 問題の対応策

 世界各国のブルセラ症の発生は開発途上国の調査が進むに従って,増加の一途をたどっている。家畜と草地を共有する保菌野生動物があるため,世界からブルセラ感染源を根絶することは容易ではない。

 わが国からこれらの世界各国を訪れ,感染源と接触し,またソフトチーズ,乳肉製品を賞味したり,持ち帰るなどで,新たな感染様式が成立するようになったきた。

 検査技術の向上で,感染初期の発熱時の患者からは的確に菌が検出できるようになった。検出菌は早急にB. melitensisか他の菌種かを決め,治療方針と予後の対応をする必要がある。そのためには,設備とヒトが配置された機関の整備と,ヒトの血清診断の診断液の配備など,早急に責任機関でわが国のルールを確認しておくことが望まれる。



麻布大学環境保健学部 伊佐山康郎





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