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Vol.14 (1993/7[161])

<国内情報>
6年ぶりに発生したジフテリアと反省点


 かつて猖獗をきわめたジフテリアも,最近は激減し,1991年における全国の患者発生数はわずか2名にすぎなかった。しかし,1992年8月,秋田県内でジフテリア患者が1986年以来6年ぶりに発生した。この事件は,県内の伝染病・食中毒病原体の同定検査機関として機能してきた当所の態勢のあり方に多くの反省を与えた。以下にその概要を紹介する。

 事件の発端は,7月21日に発病し,26日に肺炎とDIC状態で死亡した県内社会福祉施設(A学園)の園生B児について,ジフテリア菌は検出されなかったが,剖検の結果などから,ジフテリアが疑われたことであった。そして,8月3日,同じような症状で発病(7月27日)したC患児からジフテリア菌が分離されたことから,直ちにジフテリアと診断され,園生,職員および家族等の健康調査,保菌検査,予防投薬,予防接種(未接種者)および施設内消毒などの防疫活動が急速にすすめられていった。

 これらの経過を検査面から概略すると,8月3〜6日に行われた第1次保菌検査では,園生59名中3名からジフテリア菌(この3株を含めて,今回分離された5株はすべて澱粉分解性と溶血性の性状からgravis型と鑑別された)が検出された。3名中2名は,健康状態も良く,また,すでに予防投薬も行われており,発病の恐れがないと判断されたために,収容されなかった。また,この第1次検査で陰性であった家族が10日に発病し,13日にジフテリアと臨床診断されて収容された。そして,この患者からも17日にジフテリア菌が検出された。しかし,これらの保菌者や患者の接触者について,13〜14日に行われた第2次保菌検査の結果はいずれも陰性であった。また,特殊施設のため,防疫活動がやりづらかった面はあったが,その後,新たな患者発生は幸いなかった。そして,21日に園生と職員全員を対象として行われた第3次保菌検査の結果がすべて陰性であり,かつ,この検査と並行して予防投薬(保菌検査材料採取後)が行われたことから,今後新たな患者の発生はないものと判断されて,終息宣言が9月1日に出された。

 一方,当所はこれまで県内における伝染病菌・食中毒菌の最終同定検査機関として対応するべく態勢を作ってきたが,この事件はこれまでの態勢のあり方に反省すべき点が多々あったことを教えてくれた。

 第1は,7月30日,N病院でC児から分離した株の同定依頼があった時,ジフテリア菌の分離同定に必要な試薬・培地類が常備されていなかったことである。そのため,市販品(荒川培地もDSS培地も製造中止のため,OXOIDのチンスダール培地)が入るまで,自家製や代用の培地で対応したが,例えば,荒川培地に添加する亜テルル酸カリウムとしてPMTを転用したり,DSS培地に添加するウォーターブルーがなかったためにフェノールレッドを代用せざるを得なかった。

 第2は,ジフテリア菌の検査経験のない者が同定検査を進めていく場合,大事な検査指針となる標準菌株を保存していなかったことである。しかし,今回は幸いにも,流行予測調査時の抗毒素血清(その後は治療用の抗毒素血清被分与)がごくわずか残っていたり,あるいは別の研究に用いたウサギ(モルモットでも代用できるが)がたまたま飼育されていたので,同定の重要なステップである毒素原性のテストについてはようやく実施することができた。

 第3は,ジフテリアの多発時代に多くの検査経験をした経験者の大半がすでに定年退職してしまった現在,「ジフテリア菌や流行性脳脊髄膜炎菌などのように,発生が稀になった伝染病菌についての検査技術をどのように確保・維持していくのか」を絶えず考えていく必要があるのではないかということである。複雑・高度・先端的な技術を駆使した研究が若い研究者の意欲を駆り立てている昨今のような状況下では,こういう希少伝染病の検査技術のみを単にピックアップして養成し,かつこの技術を絶えることなく維持しつづけていくことはなかなか難しい。しかし,地研には県内における病原微生物の最終同定検査機関として機能していく責務があるので,我々は,たとえ発生頻度の極めて小さい伝染病や食中毒(例えば,次号に報告予定のA型ボツリヌス食中毒)の検査であっても,できるだけ即座に対応できるよう,常々,その検査技術の養成・維持について心していく必要性があるのではないかということを改めて痛感した。

 このことから,我々は,一片の検査成績書を記録として単に残すことで事足れりとするのではなく,後日に備えるための一里塚として,標準菌株の維持とともに,今回経験したいろいろな検査技術(成書に省かれているような細かなテクニックも含めて)や写真による判定記録や問題点など,気づいた事項についてできるだけ詳しく記録して残していくことにしたが,こういう記録を一つ一つ積み重ねていくという地道な努力は,限られた戦力(技術者や施設設備など)でいろいろな検査に対応していかなければならない小規模衛研にとって,今後ますます必要になってくるのではないかと考えている。



秋田県衛生科学研究所 斎藤 志保子,遠藤 守保(現・横手保健所),
八柳 潤,佐野 健,森田 盛大





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