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Vol.9 (1988/8[102])

<国内情報>
鯨肉によるサルモネラ食中毒事例について


 本年5月初旬,北海道内において鯨肉によるサルモネラ食中毒が発生し,患者総数552名に達した。道保健環境部が事件を探知したのは5月3日午後4時,札幌市衛生管理部からの通報によるもので,札幌市の事件探知は,同日午前10時30分頃,市内の医師からの届け出によるものであった。道と札幌市が調査した結果,患者は5月2日から3日にかけて札幌市と近郊の5市町の54施設(魚販店46,飲食店3,その他5)で販売された鯨肉および,4月30日以降松前町でクジラを解体した漁船員等から譲り受けた鯨肉を刺身などとして喫食したことが判明した。患者は5月1日から5日にかけて集中的に発生し,その後も増加した。552名中479名が医師の治療を受け,うち219名が入院した。症状は嘔吐,下痢,腹痛,発熱(38〜40℃)等であった。

 上記の鯨肉は,松前漁港の沖16qの日本海で魚網にかかり死んで漂流していた体長約10mのクジラから採取されたものである。たまたま,イルカ漁中の岩手県の漁船がこれを発見して港まで牽引し,4月30日,同船の甲板上で解体した。鯨肉の流通経路は次のとおりである。赤肉約580sが漁協,漁連,地元の水産会社を介して札幌中央卸売市場に卸され,さらに仲卸業者を経て魚販店や飲食店に渡り,一部が喫食されて約520名が発病した。また,これとは別に上場されなかった鯨肉が漁船員等から松前町の家庭や飲食店に渡り,約30名の患者が発生した。患者が多発した理由として,鯨肉の安全性が流通段階で全くチェックされなかったこと,商業捕鯨の禁止で鯨肉に希少価値が出て多数の人がこれを求めたことなどが挙げられよう。解体後のクジラの残部は沖に投棄されたため種類を特定できなかったが,ハクジラ類であったことはほぼ確実で,ツチクジラかアカボウクジラの可能性が強い。

道保健環境部の依頼で道立衛生研究所と道立4保健所が鯨肉10検体(市場経由品と松前町由来の各5検体)と患者材料19検体(18名分,糞便18,吐物1)について細菌検査を行った結果,全検体からSalmonella enteritidis(O9群,H抗原g,m:−)が検出された。松前町の鯨肉5検体について寒天平板塗布法でサルモネラ菌数を測定したところ,MLCB寒天で1g当たり103〜105個となり,DHL寒天ではこれより若干少ない菌数になった。また,札幌市内の1臨床検査所が開業医の依頼で本件の患者から分離した11名分の菌株を入手することができたが,いずれも上記の血清型であった。

 我が国における鯨肉によるサルモネラ食中毒は本件で3例になると思われるが,いずれもS.enteritidisが検出され,また,ハクジラ類で起きている。最初は1950年に和歌山県で瀕死状態のクジラ(トックリクジラ属)が解体されて肉が市販され,これを食した178名中172名が発病した事例で,肉の内部から菌が純培養状態で検出されたという報告がある(Nakaya,1950)。次は1987年2月の青森県の事例で,1月中旬,北海道泊村の海岸に死んで漂着したツチクジラの肉が市販され,53名の患者が発生した(豊川ら,1987)。海岸に放置されていたクジラの肉のサルモネラ菌数は,MLCB寒天で106個/gであった。当時道内では気温が連日氷点下を示し,また本菌以外の腸内細菌が検出されなかったことなどから,クジラの死亡前に菌が大量に増殖した可能性が強い。クジラのサルモネラ保有状況については明らかではないが,初発例でFukumi(1964)が触れたように,クジラ(全種ではないと思われるが)はS.enteritidisに鋭い感受性を持ち,感染すると発病しやすいのかもしれない。

 終わりに臨み,捕鯨が禁止され,クジラを食する機会は減少したが,日本の鯨食文化がこれで完全に消滅するとは考えられない。今後も様々な手段による鯨肉確保の試みがなされるであろうが,斃死クジラが危険なことは上述のとおりで,それらが食利用されることのないよう関係機関への徹底を図るべきであろう。



北海道立衛生研究所 相川孝史





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