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Vol.6 (1985/7[065])

<国内情報>
1984年徳島県下で発生した不明熱について


1984年5月より7月の間に徳島県阿南市において発疹と高熱を主徴とした不明熱3例が発生し,地元の開業医である馬原文彦医師によって報告された。その後の血清学的検査の結果から紅斑熱群リケッチア症である可能性が指摘されている。患者はいずれも60歳台の農家の主婦である。

症例1:63歳の女性,5月18日に筍を採りに薮にはいった。20日の夜より,悪感戦慄を伴う高熱(39.4℃)があり,5月21日に受診,入院した。体幹,四肢に米粒大から小豆大の紅斑が多数認められ,掻痒感,疼痛はなくガラス圧により消退した。紅斑は第3〜4病日より出血性となり,顔面,体幹から末梢まで全身に拡がり,1ヶ月頃より消退傾向を示し2ヶ月後にはほぼ消失した。眼瞼結膜は軽度充血,黄疸は認められなかった。胸部は心音,呼吸音共に異常なく,腹部も肝脾を触れず,全身リンパ節腫脹はなく11病日で下熱した。CRPは発熱期に強陽性(5+),下熱にともない陰性となり,GOT,GPT,LDH等も同様のパターンを示した。本症例では後の2例で見られたような刺し口を認められなかった。治療に使用された抗生剤としてはセファロスポリン系のものだけであった。

症例2:69歳の女性,5月31日,薮に入って作業中,右手をダニに刺され6月2日の夕方より発熱,全身倦怠,食欲不振;6月4日に受診,入院した。入院後3日間は39℃台の高熱が持続し,ほぼ全身に小豆大前後の境界不鮮明な紅斑が多発し病初期はガラス圧により消退するが,次第に出血を伴うようになり2週間目をピークとして以後,漸次消退していき約2ヶ月後に消失した。刺し口としては右腕内側部に直径0.5×1.0cmの中心に痂皮を付着する赤い硬結として認められ,病初期には右手の刺し口より末梢部の腫脹,筋肉痛,しびれ感を訴えた。全身リンパ節の腫脹はなく,また胸部,腹部,四肢に特記すべきことなく,肝脾も触れなかった。治療に使用された抗生剤でセファロスポリン系は無効で,次いで使用したテトラサイクリンが著効を示し下熱した。経過中のCRP,GOT,GPT,LDHなどの生化学検査値の変化は第1症例と同じパターンを示していた。

症例3:62歳,女性,田圃の畦で草取り中に右腋下部を虫に刺された。7月24日頃より全身倦怠感,微熱(37.7℃)で受診,25日に入院した。発疹は前2例と同様で体幹部に散在し,四肢に多く,第5病日頃より出血性となった。40℃以上の高熱が3日間続き,テトラサイクリン投与により下熱したが,セファロスポリン系抗生剤は無効であった。

本症例の場合,刺し口は右腋下部に中心が潰瘍化した直径2cmの硬結として認められた。全身リンパ節の腫脹は認められなかった。

以上は馬原医師による臨床報告を要約したものである。症例にもあるように薮または田畑に入ってから2〜8日後に悪感戦慄をもって発熱,発病すること,発疹と共に刺し口が認められること,テトラサイクリンが有効であることなどから,当初,同医師は最近,症例数のふえてきた恙虫病ではないかと考えていた。しかし,CFとか秋田大の須藤恒久教授による免疫ペルオキシダーゼ(IP)法などの血清反応が陰性であること,また,ワイル・フェリックス反応ではOXK(恙虫病)に反応せず,OX2(紅斑熱群リケッチア症)に反応することから,教科書的判断で紅斑熱ではないかと考えるようになった。患者血清は徳島大の内田考宏教授のところに持ち込まれ追試された。次いで同教授から予研,ウイルス・リケッチア部(大谷明)に血清が回送されてきた。予研では恙虫病,発疹熱,発疹チフスの抗原に加えて米国のRocky Mountain研究所より紅斑熱群特異抗原,抗血清として標準血清とロッキー山紅斑熱(R.S.F.)患者の回復期血清を送ってもらってCFを行った。その結果,ペア血清が得られた第2,第3症例の場合,紅斑熱抗原にのみ抗体価上昇がみとめられた。Box titrationのパターンからR.S.F.患者血清と比べると反応は弱かった。

その後,須藤教授がThai tick typhusという紅斑熱群のリケッチア抗原を用いたIP法でも陽性結果が得られたと報告した。

紅斑熱群リケッチア症はマダニによって媒介される感染症でロッキー山紅斑熱,ボタン熱など世界的に分布している。日本ではまだ報告はない。となりの韓国では,この群に属するリケッチアが野ネズミから分離されているが症例報告はない。徳島県の症例においては病原リケッチアの分離と同定が残された問題である。



予研 坪井義昌





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