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Vol.4 (1983/12[046])

<外国情報>
世界における前季のインフルエンザ


 中国:1981年に北京に近いDong Guan村にARIのサーベイランス定点が設けられた。この定点は12才以下の子供497名をモニターした。モニターは家庭,幼稚園,保育所の週一回の定期訪問とARI児からの咽頭材料採取によった。採取材料はただちに培養細胞に接種され,小児病院ウイルス検査室に送られた。多種のウイルス分離を目標として4種の細胞が用いられた(Hela Bristol,MRC C−16,初代サル腎,初代ヒト胎児腎)。分離ウイルスは中和,HIまたは血球吸着で同定された。

 1983年1月ARIが増加し,A(H3)ウイルスが14日に11ヶ月児から分離されたのにはじまり,流行が4週つづき主に5才以下の153例が罹患した。患児家族の43%で同時期に家族が罹患した。A(H3)ウイルスが子供材料22中11より分離された。RSが1株分離された。同期間,北京市内でもARI患児18例中5例からA(H3)株が分離された。

(WHO,WER,58,No.22,171,1983)

 英国:1982/83年のインフルエンザはこれ以前4冬と同様低調に終った。ピークは1〜3月であった。この冬中に総人口の0.5%がインフルエンザで診察をうけた(前冬のB型流行で1.1%)。流行は多くは寄宿舎,病院および老人施設から報告された。82年第40週〜83年第25週まで週あたり100例以上のA型ウイルス分離(最高は第10週の229例)が報告された。80%はH3N2型で,これを反映して患者の年令分布が広範に及んだ。H1N1型感染はほとんどが25才以下にみられた。B型は2〜3株分離されたにすぎない。呼吸器疾患死および総死亡ともこの年インフルエンザが低調であったことを裏付けた。死亡率は12月末に昇りはじめ,3月初め季節平均にもどり,その後は平均値以下となった。今冬の超過死亡は2000だった(前年は3000)。

(CDR,83/40,1983)

 米国:1982/83年の最初の流行A(H3N2)が10〜11月アラスカからはじまった。ピークは2月末から3月初めで,4月には低下した。12州が大規模な流行を報告した(1981/82年は4,1980/81年は32)。分離株の72%はA(H3N2)型,11%はB型,10%がA(H1N1)型であった。H1N1とB型はシーズン後半に分離された。43州がH3N2の分離を,29州がB型の分離を,24州がH1N1の分離を,14州が3型全部の分離を報告した。H3N2株のほとんどはA/Bangkok/79(H3N2)類似型であった。しかし,このシーズン中に明らかに抗原性の変異した株(たとえばA/Philippines/2/82)が分離されている。対照的に,H1N1およびB型ウイルスではほとんど変異はみられない。H3N2型は全年令から報告され,保育所ではおよそ60%の攻撃率を示したが,H1N1型は従来通り子供および青年層(しばしば学校)で流行した。B型は保育所からの報告が多かった。

(CDC,MMWR,32,No.29,373,1983)






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