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Vol.2 (1981/3[013])

<国内情報>
都市立伝染病院における急性感染性腸炎起因菌の最近の動向


1962年に都市立伝染病院,衛生研究所その他の機関によって当初薬剤耐性赤痢研究班として発足した当研究会は,その後1970年から感染性腸炎研究会と改称され,赤痢菌をはじめとする感染性腸炎起因菌に関する共同研究が永らく続けられて来た。参加機関は1979年現在31で,このうち,病院については札幌,仙台,東京,川崎,横浜,名古屋,京都,大阪,神戸,広島,福岡の各都市立14伝染病院(一部は感染症センター)で,ほぼ全国的の規模で網羅されている。

今回はこの14病院の資料から,臨床の立場から見た急性感染性腸炎の起因菌の最近の動向について述べる。

1.検出病原菌の種類とその変遷

都市立14伝染病院に赤痢もしくはその疑似症と診定されて入院した散発患者について,集計を開始した1968年から1979年までの12年間における病原菌の検出頻度は表1のごとくである。

a 患者数と赤痢菌検出頻度

年間患者総数は1969年まではなお2,000台を超えたが,1974年に初めて1,000名を割り,以後はほぼ横ばいを続けている。

赤痢もしくはその疑似症として届出られた患者ということであるだけに,赤痢菌の検出率が高いのが当然で,事実,1968,69年にはそれぞれ33.0,25.0%を示した。これとても往年の高い検出率から見れば隔世の感があるが,1975年ごろからはその検出率はさらに低下し,全症例の10%にも満たないという年が続いた。

しかし,図1にも明らかなようにこの赤痢菌の検出率は1978年から再び急に上昇傾向を示した。

また,これと相対的に,1977年ごろまでは70%にもおよんだ菌陰性例の比率が1979年には44.7%に低下した。

赤痢菌検出率の低下と菌陰性例の増加は,発症の早期から使用される抗生物質治療の影響もあると考えられるが,赤痢がいわゆる東y症化狽オ,定型的な症例が少なくなるとともに,他の起因菌によってむしろ赤痢様の血便を呈したりするものが増え,赤痢の臨床診断が難しくなり,細菌性赤痢以外の症例が含まれることが多いことに起因する。

一方,1978年以後における赤痢菌検出率の再上昇と菌陰性比率の低下は,ここ数年,海外輸入例とみられる患者の急増とともに赤痢患者実数が増えていることもあるが,前記のような,近年の赤痢を含めた感染性腸炎の実態が臨床医師に浸透し,従前のように臨床所見のみで届出られず,菌が検出されるのを待つ傾向となりつつあることを物語っている。

b 赤痢菌以外の病原菌検出

赤痢菌以外の病原菌は,表1のように,当初はサルモネラ,腸炎ビブリオ,病原大腸菌の3菌種にほとんど限られていた。このうち,腸炎ビブリオ,病原大腸菌の検出はほぼ横ばいで,それぞれ6〜8%,2〜4%であったが,サルモネラの検出率は近年ほとんど常に10%を超え,時には赤痢菌のそれを凌駕する年もあった。しかしながら,赤痢を疑わせる患者から,これらすべてを合わせてもなお半数以上の菌陰性例をみることは,臨床にたずさわるわれわれにとって少なからず不満であって,これらの菌陰性例の起因菌の解明が最近の当研究会の大きな課題であった。

以前から時折検出される赤痢アメーバ,コレラ菌などは別として,近年の症例では次第にYersinia enterocolitica, Klebsiella oxytoca, Campylobacter jejuniなどの検出されるものが目立つようになった。

c.Klebsiella oxytocaについて

近年唐ゥぜ狽ネどでABPC,AMPCを投与されて,突然激しい腹痛と純血性に近い血便を伴う症例が増加し,しかもこれらの症例から例外なくKlebsiella oxytocaが純培養状に検出されることを経験している。表1にみられるように,この症例は1975年に名古屋東市民病院から4例報告されたのに始まり,以後他の病院からも相次いで報告されるようになった。

薬剤関与大腸炎として,LCM,CLDMによる偽膜性大腸炎がすでに知られ,これらは近年,菌交代によるClostridium difficileのexotoxinによるという説が有力で,その原因抗生物質はペニシリン系,セファロスポリン系にも及んでいる。上記の症例で検出されたKlebsiella oxytocaの腸炎起病性についての確証はなく,また,これらの症例についてのClostridium difficileの検索が行われていないので,両者の異同は今のところ明らかではない。

2.赤痢菌の菌型と抗生物質耐性

1962年からの病院分離株について赤痢菌の菌型分布の年次別変動をみると(図2),前後2回にわたるB群とD群の勢力の交替が目立っている。1973年にD群の割合が急激に低下し,代って2aを中心とするB群菌が台頭し,以後引続いて現在までB群菌が流行の主役となっている。

国内例の減少傾向とは逆に,全分離株における海外輸入例の割合は近年急激に増え,1979年には58.9%に達し,今日の赤痢があたかも輸入伝染病の様相を示すようになった感がある。

病院で分離された赤痢菌のCP,TC,KM,ABPC,NAの5剤についての感受性をみると,1979年には検査した173株のうち69.4%が耐性株であった(表2)。個々の薬剤について年次別にみると(図3),最近5年間にCP,TC,KMではあまり変動はないが,1978年からABPC耐性株が急激に増え,1979年には42.8%に達した。

この赤痢菌の耐性頻度を年次別にみると,図4のごとく,1966年から常に80%台を続けていたが,1976年からは各群ともかなり頻度が低下している。



感染性腸炎研究会(会長 斎藤 誠)松原義雄


表1.赤痢として入院した散発患者の年次別病原菌検出頻度(都市立伝染病院)1968〜'79
図1.病原菌検出率の年次別推移(仝上)
図2.主要赤痢菌型の年次別変動(1962〜1979年)
表2.赤痢菌の抗生剤耐性(散発)
図3.個々の薬剤についての耐性頻度
図4.年次別赤痢菌耐性頻度





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