菌凝集素価法を用いた百日咳血清診断について
(Vol. 32 p. 236-237: 2011年8月号)

わが国では簡便な百日咳血清診断法として菌凝集素価法が広く利用されている。本法は百日咳菌の東浜株(凝集原1, 2, 4、ワクチン株)と山口株(凝集原1, 3, 6、流行株)に対する血中抗体価を測定し、その凝集素価を指標に百日咳診断を行うものである。診断基準は東浜株または山口株の凝集素価のうちいずれかが1:40以上、ペア血清で抗体陽転あるいは4倍以上の上昇、または山口株と東浜株の凝集素価比(山口株/東浜株)が4倍以上を示した場合に診断価値が高いとされている。ただし、これらの診断基準は明確にはされておらず、臨床現場では経験的な数値、例えば単血清で凝集素価1:320以上が採用されることもある。そこで、2008(平成20)年度感染症流行予測調査では健常者における菌凝集素価の保有状況を調査し、本法の診断基準値について再評価を行った。

7都道県に在住する乳児から高齢者までの 1,290名を対象に、百日せき凝集反応用抗原「生研」を用いて菌凝集素価を測定した。その結果、東浜株と山口株に対する凝集素価は二峰性の分布を示し、1:20未満(陰性と判定)に大きなピークと1:80〜1:320を中心とするなだらかなピークが認められた(図1)。東浜株に対する凝集素価の保有率は1:40以上が52.2%、1:320以上が26.9%、山口株に対しては1:40以上が48.8%、1:320以上が21.7%を示した。この分布を年齢別に見ると、東浜株、山口株ともに1:40以上の保有率は1〜4歳で最低値を示し、加齢とともに上昇する傾向が認められた(図2)。凝集素価1:40以上の保有率は東浜株、山口株ともに40〜49歳で高く、その保有率はそれぞれ72.0%、62.1%という高値を示した。また、小児(0〜9歳)における凝集素価の分布割合を過去の調査結果と比較したところ、2008年度は1989〜1990年度調査に比較して高い凝集素価の保有が認められた(図3)。東浜株と山口株がともに1:160倍以上の保有率は1989年度が0.9%、1990年度が2.4%であったのに対し、2008年度ではその保有率は16.9%という高値を示した。1991〜2007年は凝集素価の調査が実施されなかったため詳細は不明であるが、近年の小児は高い凝集素価を保有することが新たに判明した。なお、山口株と東浜株の菌凝集素価比を用いた診断基準について検討を加えたところ、現行の診断基準値とされる菌凝集素価比4倍以上(山口株/東浜株)は調査対象者の15.0%に認められた。

本調査において、乳児から高齢者までの広い年齢層で高い菌凝集素価の保有が認められ、加齢とともに保有率が上昇する傾向が示された。この高い保有率の原因は不明であるが、その分布が二峰性を示したことから、自然感染による凝集素価の上昇、また過去に使用された全菌体百日せきワクチンの影響が考えられる。現行の無菌体百日せきワクチンの免疫効果は4〜12年で減弱することが知られており、ワクチン効果が減弱した青年・成人は百日咳菌に対する感受性者とされている。そのため、青年・成人層での抗体保有者は不顕性感染あるいは最近の発症などによる凝集素価の上昇が強く疑われ、事実2008年にはわが国では百日咳の流行が認められている。また、30歳以降の成人では菌凝集素価を強く誘導する全菌体ワクチンが乳児期に接種されており、この影響についても考慮する必要がある。

今回の調査により、近年の小児は高い凝集素価を保有することが示され、成人のみならずワクチン既接種児の百日咳検査診断に菌凝集素価法を適用することは困難であると判断された。現在、欧米では百日咳血清診断として菌凝集素価法は採用されておらず、主に抗百日咳毒素抗体価(抗PT抗体)を指標とする血清診断が行われている。米国では遺伝子検査(PCR)による診断が最も多く、次いで菌培養検査、血清学的検査(抗PT-ELISA法)の順となっており、わが国でも菌の遺伝子検査の導入を進めるとともに、菌凝集素価法から抗PT-ELISA法への切り替えが必要である。特に青年・成人患者は乳幼児患者に比較して百日咳発症時の保菌量が少ないことから、その実験室診断には高感度な遺伝子検査の利用が望まれる。

国立感染症研究所細菌第二部、感染症情報センター
北海道立衛生研究所
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