東日本大震災後の仙台市およびその周辺でのインフルエンザのモニタリング
(Vol. 32 p. S6: 2011年別冊)

今回の東日本大震災は2010/11シーズンのインフルエンザ流行が続いている時期に発生したために、当初から被災地でのインフルエンザの流行が危惧されていた。我々は仙台市およびその周辺において東日本大震災発生直後からインフルエンザの発生状況のモニタリングおよび流行調査を行ってきた。

我々の研究室でも地震による機器の損傷や停電などがあったが、被災直後の3月15日から、PCRによりインフルエンザを診断する体制を整備し、仙台市急患センターなどの協力を得てインフルエンザのモニタリングを開始した。その第一報は3月22日に国立感染症研究所ホームページに公開した1) 。また、宮城県の依頼を受け、避難所の衛生状態のアセスメントや、インフルエンザなどの流行状況の調査も同時に開始した。ガソリン不足や交通機関の途絶などにより、定点医療機関への受診者そのものが激減し、通常の定点サーベイランスが多くの被災地でほとんど機能しなくなっていた。そういったなかで緊急医療チーム、保健所、自治体などからの情報、さらには我々のウイルスモニタリングの結果から、主に宮城県南部でA型インフルエンザの流行が起きている可能性が考えられた。このため宮城県南部の沿岸部の避難所で集中的に調査を行った結果、複数の避難所でA(H3N2)の流行が確認された。ウイルス輸送用の培地を十分に配布することができなかったため、避難所でのウイルス検査は迅速診断キットの懸濁液の残りを使用して行ったが、この方法によりPCRによる遺伝子増幅およびPCR産物からのウイルス遺伝子の解析も可能であった。

A(H3N2)の流行は第14週まで続き、第16週以降仙台市などで学校が再開された後にB型インフルエンザの流行が仙台市の一部で確認された。最終的には仙台市(主に仙台市急患センターおよび市内の小児科診療所からの検体)および宮城県南部の避難所からの検体286検体でPCRを行い、113件のA(H3N2) 、1件のA(H1N1)pdm、94件のB型が確認できた。また、宮城県南部の被災地の避難所の調査から、避難所での流行は青壮年の男性から始まり、その後、女性、高齢者、子供などに拡がっていくパターンが確認された。これは支援者など不特定多数の人と接点の多かった青壮年男性からウイルスが避難所の中に拡がっていったことを示唆するものであった。また、震災以降検出されたB型インフルエンザは1例を除いてすべてVictoria系統であったが、1例のみ検出された山形系統のウイルスは関西方面からきた支援者から検出された。これらの事実は被災地に入るボランティアなどが被災地にウイルスを持ち込んだことを示唆するものであり、このような災害後には支援者に対してもワクチン接種などの対策を徹底する必要性があると考えられた。

 参考文献
1) IDWR 13 (10): 21-22, 2011

東北大学医学系研究科微生物学分野
押谷 仁 神垣太郎 岡本道子 当广謙太郎 大谷可菜子 貫和奈央 鈴木 陽

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