A型肝炎ウイルス検出事例の分子疫学的検討−佐賀県
(Vol. 31 p. 292-294: 2010年10月号)

1.はじめに
国内のA型肝炎患者数は2000年以降減少傾向を示していたが、2010年2月(第5週)から患者届出が増加し始め、3月(第10週)以降に急増した。この状況から国立感染症研究所(感染研)感染症情報センターは、2010年3月26日付けで厚生労働省健康局結核感染症課および医薬食品局監視安全課を通じて「A型肝炎のDiffuse Outbreakに関する注意喚起情報」1) を全国の自治体に周知し、積極的疫学的調査とA型肝炎ウイルス(HAV)のPCR検査のための検体確保の協力を促す「アラート体制」をとった1,2) 。佐賀県では2010年4月(第15週)の初発事例から6月(第25週)までに計7件のA型肝炎患者の届出があった。これらの患者の届出を受け、管轄保健福祉事務所で疫学的調査を実施するとともに当所においてHAVの検出と分子疫学的な解析を行った。

2.材料と方法
佐賀県内においてA型肝炎と届出された7事例()のうち5事例の患者便5検体と事例4の患者自宅の井戸水1検体、計6検体についてHAV遺伝子の検出を試みた。患者便からのHAV遺伝子検査法は「A型肝炎ウイルス検出法」(食安監発第1201号、平成21年12月1日改正)、感染研の病原体検出マニュアルなどに準じて行った3-6) 。井戸水については約300mlをAmicon Ultra-15 Ultracel-30K (MILLI-PORE)を用いて濃縮した後、便検体と同様に処理した。なお、後述のように当所の検査では井戸水は陰性であったことから、井戸水約200mlを感染研に送付し、再検査を実施した。PCR法で得られたHAV遺伝子の陽性産物はダイレクトシークエンス法で塩基配列を決定し、この塩基配列および予測されるアミノ酸配列についてBLAST検索、CLUSTALW ver.1.83による系統樹解析などの分子疫学的な解析を行った。

3.遺伝子検査結果
患者便では5検体中4検体(事例1、2、4、5)からHAV遺伝子が検出された。井戸水(事例4)は当所で濃縮処理した検体からは検出できなかったため、感染研に再検査を依頼した結果、陽性となった。VP1-2A領域の塩基配列(232bp)を基に系統樹解析を行った結果()、検出HAVはすべてgenogroup (G)-IA型の標準株(1)DL3[AF512636] (China)や標準株(2)HAV5[EU131373](Uruguay)の分枝下に属していた。事例2由来株はHAV isolate a56[FJ445821] (Taiwan)株と近縁で小分枝群を形成した(便宜的にG-IAa亜群とした)。事例1、4、5の患者便と事例4の井戸水(塩基配列不読部分を除く)に由来する株の塩基配列は完全に一致し、HAV-DE-2007/08-218[EU82857](Germany)株とも完全に一致した(G-IAb亜群とした)。以上より、今回検出されたHAVは二つのクラスターに分類された。

一方、決定した塩基配列から予測されるアミノ酸配列(77aa)に変換し、G-IA標準株(1)と比較した結果、G-IAa亜群はアミノ酸変異は認められなかった。G-IAb亜群は70番目のグルタミン酸(E)がアスパラギン酸(D)に変異(E70D)し、相同性は99%であった。

4.考 察
佐賀県では2010年4月〜6月の間に7件のA型肝炎患者の届出があり、検体が採取された5事例のうち4事例の患者便からHAVが検出された。検出HAVはすべてG-IA型遺伝子と型別された。2000〜2006年の間に岐阜県、浜松市、東京都、新潟市、滋賀県で発生した事例8) は飲食施設が関与した食中毒事例で、すべてG-IA型が検出されており、G-IA型は国内での主流型と思われる。

事例1、4、5の患者から検出されたHAVの塩基配列は完全に一致した。この3名の患者の聞き取り調査を行ったが、A型肝炎は発症するまでの潜伏期が長いことなどから十分な疫学情報は得られず、患者間の疫学的な関連性や感染源の究明には至らなかった。

一方、事例4においては患者自宅の井戸水からHAVが検出され、その塩基配列は不読部分を除き、当該患者から検出されたウイルスの塩基配列と一致した。患者の家では水道が引かれておらず、井戸水が飲用を含む生活水として利用されていることから、井戸水の飲用により感染した可能性が考えられる。しかし、家族内に他の発症者が見られず、トイレが汲み取り式の便槽であることから当該患者の便中のウイルスが井戸水を汚染した可能性も否定できず、感染源として特定するには至っていない。

事例2から検出されたウイルスは、上記の3事例とは異なるウイルスの亜群であり、それらとは感染経路が異なるものと思われた。疫学調査からも感染源の特定には至らなかった。

佐賀県内においては1977年に県内東部の小学校児童411名を中心としたA型肝炎集団事例11) が発生しているが、それ以降、県内では大規模な集団発生は確認されていない。感染研の感染症発生動向調査システムの登録情報によると、県内のA型肝炎報告数は2006年2件、2007年3件、2008年3件、2009年は0件であった。2010年は8月現在で7件の届出があり、分子疫学的解析の結果、2種類の亜群が県内で確認された。今後もHAVの監視および感染予防対策のために分子疫学的な調査を継続して行くことが重要と思われる。

謝辞:本調査にあたり、ご協力をいただきました佐賀県健康福祉本部健康増進課、佐賀中部保健福祉事務所、鳥栖保健福祉事務所、病原体および情報提供の医療機関の関係各位に深謝いたします。

 参考文献
1)国立感染症研究所感染症情報センター:A型肝炎のDiffuse Outbreakに関する注意喚起情報(Alert),2010
2)IASR 31: 140,2010
3)食安監発1201第2号、A型肝炎ウイルス検出法、2009
4)国立感染症研究所他、病原体検出マニュアル
5)戸塚、他、臨床とウイルス、増刊号 23:253-256, 1995
6) Robertson BH, et al ., J Gen Virol 73: 1365-1377, 1992
7)国立感染症研究所、IDWR 11(12), 2009
8)国立感染症研究所、IDWR 12(28), 2010
9)新潟市保健所、他、IASR 27: 178, 2006
10)貞升、他、IASR 23: 273, 2002
11)佐賀県保健環境部,公衆衛生情報 19-23, 1978

佐賀県衛生薬業センター
増本久人 南 亮仁 野田日登美 江口正宏 原崎孝子 鶴田清典
東京大学大学院工学系研究科
北島正章 片山浩之
国立感染症研究所ウイルス第二部
清原知子 石井孝司
国立医薬品食品衛生研究所食品衛生部
野田 衛

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