平成22年度(2010/11シーズン)インフルエンザワクチン株の選定経過
(Vol. 31 p. 262-264: 2010年9月号)

1.ワクチン株決定の手続き
わが国におけるインフルエンザワクチン製造株の決定過程は、厚生労働省健康局の依頼に応じて国立感染症研究所(感染研)が検討し、これに基づいて厚生労働省が決定・通達している。感染研では、全国76カ所の地方衛生研究所と感染研、厚生労働省結核感染症課を結ぶ感染症発生動向調査事業により得られた流行状況、および今シーズンは約12,000株に及ぶ分離ウイルスについての抗原性や遺伝子解析の成績、感染症流行予測調査事業による住民の抗体保有状況調査の成績などに基づいて次年度シーズンの予備的流行予測を行い、これに対するいくつかのワクチン候補株を選択する。さらにこれらについて、発育鶏卵での増殖効率、抗原的安定性、免疫原性、エーテル処理効果などのワクチン製造株としての適格性を検討する。年が明けた1月下旬からは、数回にわたり所内外のインフルエンザ専門家を中心とする検討会議が開催され、上記の前シーズンの成績、およびその年のインフルエンザシーズンにおける最新の成績を検討して、次シーズンの流行予測を行う。さらにWHOにより2月中旬に出される北半球次シーズンに対するワクチン推奨株とその選定過程、その他の外国における諸情報を総合的に検討して、3月末までに次シーズンのワクチン株を選定する。感染研はこれを厚生労働省健康局長に報告し、それに基づいて厚生労働省医薬食品局長が決定して5〜6月に公布している。

2.ワクチン株構成およびワクチン株
2009/10シーズンは2009年4月下旬から世界的な大流行となったブタインフルエンザウイルス由来のA/H1N1pdmウイルスが流行株の98%を占めた。それと並行して季節性A/H1N1ウイルスの分離例が世界中で激減し、多くの国でこのウイルスはほとんど分離されなくなった。この傾向は、既に2009年9月のWHOの南半球ワクチン株選定会議時点から見られており、季節性A/H1N1ウイルスは地球上から消滅する傾向にある。一方、A/H3N2亜型ウイルスの分離数も激減したが、国内外とも少数ながら分離された。また、B型ウイルスの流行は、A型の流行が減少し始めると活発になるという傾向があり、それはパンデミック発生以降も変わっていない。このことから、2010/11シーズンでは、季節性A/H1N1ウイルスに代わりA/H1N1pdm ウイルスがA/H3N2およびB型ウイルスと混合流行すると予想された。

以上の分析結果から、WHOは南半球のワクチン推奨株と同様に、今冬の北半球ワクチン株もA/H1N1pdm、A/H3N2およびB型の3価ワクチンを推奨した。一方、国内の流行状況も諸外国と同様であることから、わが国もWHOの推奨どおり、これら3株からなる3価ワクチンとすることが妥当であると結論づけた。

 ワクチン株
  A/カリフォルニア/7/2009(H1N1)pdm
  A/ビクトリア/210/2009(H3N2)
  B/ブリスベン/60/2008 (ビクトリア系統)

3.ワクチン株選定理由
3-1.A/H1N1pdmワクチン株
2009/10シーズンになってからは、国内外の分離株のほとんどはA/H1N1pdm株で占められ、現時点までに国内では12,028株が分離されている。抗原性解析の結果、分離株の98%は平成21年度のワクチン株A/カリフォルニア/7/2009類似株であり、赤血球凝集抑制(HI)試験で8倍以上抗原性が変異した株は、2010年2月までは3株のみであった。一方、3月以降では変異株の検出は見られなかった。海外においても、変異株はほとんど出ていないが、赤血球凝集素(HA)蛋白の153-156番目のアミノ酸置換(K153E、G155E、N156D)が起こるとHI試験で8倍以上の変異株となることが報告されている。

HA遺伝子の系統樹解析から、すべての最近の分離株は、203Tアミノ酸を共通に持つクレードに分類され、遺伝的に均一であった。同様に、ノイラミニダーゼ(NA)遺伝子においても、すべての最近の分離株は、106I、248Dを持つクレードに入り、遺伝的な多様性は見られていない。米国、英国、豪州の各WHOインフルエンザ協力センターからも同様の解析結果が報告されており、遺伝的にほぼ均一で、抗原性はA/カリフォルニア/7/2009に類似したウイルス株が世界中で流行していた。このことから、2010/11シーズン北半球ワクチン株としてA/カリフォルニア/7/2009類似株がWHOから推奨された。

一方、新型ワクチン接種前の2009年7〜9月に採取した各年齢層のヒト血清について、A/カリフォルニア/7/2009株に対するHI抗体の保有状況を調べたところ、85歳以上の40%はHI価40倍以上の抗体を持つが、それ以外の年齢層は低い抗体しか持たないことが明らかになった。このことから、本ワクチン接種によるさらなる免疫の獲得が必要であることが示された。

ワクチン製造には、孵化鶏卵での増殖性が高く、流行株と抗原性が一致している高増殖株が用いられる。H1N1亜型ワクチン株としてA/カリフォルニア/7/2009 から孵化鶏卵高増殖株X-179Aが開発され、国内のワクチン製造4社において、増殖性、抗原性、蛋白収量について検討された結果、抗原的に安定しており、製造効率も比較的良好であることが確認された。また平成21年度に本株を使用して、新型ワクチン製造が行われたという実績をもっている。

以上のことから、2010/11シーズンのA/H1N1亜型ワクチン株として、A/カリフォルニア/7/2009(H1N1)pdm株が選定された。

3-2.A/H3N2ワクチン株
2009/10シーズンはA/H3N2亜型ウイルスの国内分離報告は8月現在で70株と極めて少なく、本亜型の解析成績は、中国、台湾株に関するものが主であり、少数の韓国、ラオス株も含まれている。H3N2亜型ウイルスは、国内でA/H1N1pdm ウイルスが本格的に広がり出した第18〜30週頃に小さい流行があり、分離株は2008/09〜2009/10シーズンのワクチン株A/ウルグアイ/716/2007やWHOワクチン推奨株A/ブリスベン/10/2007からHI試験で8〜16倍異なるA/パース/16/2009株で代表される変異株であった。近隣諸国から入手した分離株も同様で、90%以上は抗原的にはA/パース/16/2009株やその類似株である国内分離株A/新潟/403/2009 やA/静岡/736/2009株と抗原性が類似していた。諸外国でも同様で、米国、英国、豪州の各WHOインフルエンザ協力センターでの解析においても、分離株の95%はA/パース/16/2009類似株で、A/ウルグアイ/716/2007 やA/ブリスベン/10/2007類似株はほとんど分離されなかった。このことから、本亜型の流行は、2008/09シーズンの主流であったA/ブリスベン/10/2007およびA/ウルグアイ/716/2007類似株から、連続抗原変異株であるA/パース/16/2009類似株へ変わったことが明確に示された。

HA遺伝子系統樹解析では、2009年9月以降に世界中で分離されたA/H3N2亜型ウイルスは、62K、144K、158N、189Kを共通して持ち、A/パース/16/2009株、A/新潟/403/2009株で代表されるA/パース/16クレード、または158N、189K、212Aを共通して持ち、A/ビクトリア/208株やA/静岡/736/2009株で代表されるA/ビクトリア/208クレードに分類された。これら両クレードのウイルスは、抗原性が互いに類似しており、いずれもA/パース/16に対するフェレット抗血清とよく反応していた。欧米諸外国での分離株も全く同等の成績であった。

一方、2008/09シーズンのA/ウルグアイ/716/2007株ワクチン接種後のヒト血清についてA/パース/16類似株との反応性を調べた結果、ホモのワクチン株に対しHI抗体価の幾何平均値の50%以下を示したことから、A/ウルグアイ/716/2007ワクチン株では現在の流行株に対する感染防御効果はかなり低下することが示唆された。

以上の解析結果から、WHOは2010/11シーズン北半球ワクチン株としてA/パース/16/2009類似株を推奨した。

前項に示したように、ワクチン製造には孵化鶏卵高増殖株が用いられるが、南半球用製造株としては、A/パース/16/2009類似株のA/ウィスコンシン/15/2009から開発された高増殖株X-183 が採用された。しかし、孵化鶏卵での増殖性が期待したほど高くなかったことから、次期北半球用ワクチン製造株として、A/パース/16/2009類似株のA/ビクトリア/210/2009 から3株の高増殖株(X-187、IVR-155、NIB-65)およびA/広東-ルフー(Guangdong-Luohu)/1256/2009から1株(X-185)が開発された。ワクチン製造所による増殖性、抗原性、ウイルス蛋白収量の検討結果から、X-187が最も製造効率が高く、原株のA/ビクトリア/210/2009の抗原性を維持しており、さらにA/パース/16/2009類似株であることも確認された。以上のことから、わが国ではA/ビクトリア/210/2009(X-187)をワクチン製造株に選択した。

3-3.B型ワクチン株
2009/10シーズンの国内外におけるB型インフルエンザの流行規模は極めて小さく、わが国でも現時点で163株が分離されているのみである。B型ウイルスは1980年代後半から抗原的にも遺伝系統的にも異なる2つのグループ(山形系統およびビクトリア系統)に分岐している。2009/10シーズンのB型流行株は、山形系統が7%、ビクトリア系統が93%という比率であった。諸外国においてもB型の流行は極めて小さいが、ビクトリア系統株が主流であった。また、2月以降、B型ウイルスが流行の主流を占めている中国でも、ビクトリア系統が80%を占め、世界的にB型の流行は、ビクトリア系統が主流であった。

ビクトリア系統分離株について抗原解析を行った結果、2009/10シーズンのワクチン株B/ブリスベン/60/2008類似株が約80〜99%を占めることから、国内での流行の主流は、B/ブリスベン/60/2008類似株であることが示された。また、欧米諸国および中国からの成績も同様で、B/ブリスベン/60/2008類似株が世界的に主流であった。

HA遺伝子系統樹解析においても、国内外で流行しているビクトリア系統株のほとんどは、75K、172Pを共通に持ち、B/ブリスベン/60/2008で代表される一群に属していた。一方、すべての山形系統分離株は、B/バングラデシュ/3333/2007で代表されるクレードに分類され、その中でも最近の分離株は、202Sを共通に持つサブクレードに入った。

2009/10シーズンのワクチン接種前に採血された血清について、ビクトリア系統のB/ブリスベン/60/2008株および山形系統のB/フロリダ/7/2004 株に対する抗体保有状況調査を実施した。その結果、30〜49歳代の30〜50%がB/ブリスベン/60/2008に対してHI価40倍以上の交叉抗体を保有していたが、それ以外の年齢層では全体的に低い抗体価しか持たなかった。一方、山形系統のB/フロリダ/7/2004株に対する抗体保有率では、10〜49歳代の45〜83%が抗体価40倍以上のHI抗体を保有しており、全体的に山形系統株に対する免疫がビクトリア系統より高いことが明確に示された。このことから、ビクトリア系統のB/ブリスベン/60/2008による免疫の必要性が示唆された。

以上の世界各国における抗原性解析、遺伝子解析、抗体保有状況等の成績から、WHOは2010/11シーズン用ワクチン株に再度B/ブリスベン/60/2008類似株を推奨した。

ワクチン製造株として、海外ではB/ブリスベン/60/2008から高増殖株2株(BX-31B、BX-35)およびB/ブリスベン/60/2008類似株のB/バングラデシュ/5945/2009から高増殖株1株(BX-37)が開発された。しかし、国内のワクチン製造所における増殖効率や蛋白質収量を検討したところ、これら高増殖株は野生株B/ブリスベン/60/2008を超えるほどの良好な製造効率を示さなかった。さらに、B/ブリスベン/60/2008野生株は2009/10シーズンのワクチン製造株としての製造実績があることから、わが国ではB/ブリスベン/60/2008野生株をワクチン製造用に選定した。

4.A/H3N2およびB型ワクチン製造株の問題点
現行のワクチン製造は孵化鶏卵を用いて行われることから、ワクチン製造株には孵化鶏卵に馴化した増殖性の高い株を採用することになる。このために、A型ではワクチン株からHAおよびNA遺伝子をA/PR/8の内部蛋白遺伝子と組み換えた高増殖性株が孵化鶏卵内で作製される。今年度は、A/H3N2ワクチン製造株としては、A/ビクトリア/210/2009からX-187、IVR-155、NIB-65高増殖株が開発されたが、欧米諸国およびわが国ではその中から、原株のA/ビクトリア/210/2009野生株およびWHOワクチン推奨株A/パース/16/2009に比べて抗原性が変化しておらず、前項に示したような製造効率の最も高いX-187をA/H3N2ワクチン製造に採用した。

一方、ワクチン製造株X-187に対するフェレット感染血清を作製し、A/ビクトリア/210/2009野生株、A/パース/16/2009および流行株との交叉反応性をHI試験で調べた。その結果、抗X-187血清は、A/ビクトリア/210/2009野生株とはホモ価と同程度のHI価を示したが、A/パース/16/2009および流行株に対しては、4倍から32倍反応性が低下することが確認された。同様のことは米国CDCで実施されたHI試験でも観察された。このことから、ヒトにおいても、高増殖株X-187ワクチンで誘導される免疫抗体では、流行株に対するワクチン効果が大きく低下することが懸念された。

一方、B型ワクチン製造株については、B/Lee/40株をバックボーンとした遺伝子組換え株が孵化鶏卵高増殖株として毎年開発されるが、前項で示したようにB/ブリスベン/60/2008では孵化鶏卵での継代によって馴化させた野生株のほうが製造効率が良好であったことから、わが国では本野生株をワクチン製造用に採用した。しかし、B型ウイルスは孵化鶏卵に馴化させると、HA蛋白の197-199 番目アミノ酸領域の糖鎖付加部位が変化して糖鎖が欠落した卵馴化型HA蛋白となる傾向が高い。この糖鎖を欠落した孵化鶏卵馴化B/ブリスベン/60/2008ワクチン製造株に対するフェレット感染血清は、MDCK細胞で分離したB型流行株との反応性はHI試験で8〜16倍低下していた。A/H3N2ワクチン製造株で見られた現象と同様に、B型ワクチンにおいても、ワクチンで誘導される免疫抗体では感染防御効果の減弱が懸念された。このため、次年度ではH3N2およびB型ワクチン接種後のヒト血清抗体を用いて、流行株との交叉反応性を追検証する必要がある。

孵化鶏卵をワクチン製造に用いる限りこのような問題は毎年起こり得ることであり、これを解決するためには、一刻も早く培養細胞を用いたワクチン製造へ切り替える必要がある。

国立感染症研究所
インフルエンザワクチン株選定会議事務局
インフルエンザウイルス研究センター
小田切孝人 田代眞人

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