米国内での多剤耐性アシネトバクターの状況
(Vol. 31 p. 194-196: 2010年7月号)

背 景
アシネトバクター属の中でも感染症の原因となるAcinetobacter baumannii による院内感染は、米国では1970年代から散発的に報告されていた1) 。ただ、これらの事例の多くは特定の汚染源に由来するアウトブレイクであり、また、各種抗菌薬に対するA. baumannii の感受性は良好に保たれていた。すなわち、ST合剤、アミノグリコシド、セファロスポリンなどに感性であった。しかし1990年代になり、ニューヨーク市を中心として多剤耐性A. baumannii による院内感染事例が多発したのを契機に、この菌が臨床的な問題として認識されるようになった2) 。その後の十年余りに、多剤耐性A. baumannii の多くがさらにカルバペネム耐性を獲得し、全米の医療施設に急速に拡散し現在に至っている3) 。

疫 学
A. baumannii は院内肺炎、敗血症、創傷感染症などの起炎菌となるが、この中で特に予後不良で臨床的に問題となるのが院内肺炎、特に人工呼吸器関連肺炎(VAP)である。米国でVAPの起炎菌に占めるA. baumannii の割合は、1986年に4%だったものが2003年には7%と、徐々に増加しつつある(NNISデータ)。一方、3系統以上の抗菌薬に耐性で多剤耐性と定義される株の割合は、1995年には20%程度だったものが2004年には40%を超え、2007年には60%に達している(NNIS/NHSNデータ、参照)。多剤耐性株の中でも特に治療困難なカルバペネム耐性株は、1995年の5%から2007年には実に全体の34%にまで増加した。当初はニューヨーク市が中心だった多剤耐性A. baumannii による院内感染事例は、その後シカゴ、ヒューストン、ピッツバーグ、デトロイトなど全米各地から報告されている。このように多剤耐性株は地理的にも拡散してきており、CDCが2007年時点で把握しているだけでも28州で分離が確認されている3) 。ただし、NHSNのデータは任意報告によるもので参加施設がない州も複数あるため、実際には既に全米に広がっていると考えられる。また、この全米に広がっている株の多くは遺伝学的に単一の起源を持つことが分かってきている(未発表データ)。

A. baumannii は気候が温暖な熱帯地域では市中感染症を起こすことが知られているが、米国では現時点ではそのような報告はなく、全症例が医療関連感染症あるいは院内感染症として発症している。ただし、アフガニスタンやイラクでの対テロ戦争では多くの負傷兵が多剤耐性A. baumannii による創傷感染症を発症し問題となった4) 。

感染経路
多剤耐性A. baumannii が院内感染を起こす要因としては、人工呼吸器のような多湿の環境との親和性、乾燥した環境での生存能力、そして抗菌薬による選択圧が挙げられる。多剤耐性A. baumannii が一般病棟よりは集中治療室(ICU)で院内感染を起こすことが多いのには、人工呼吸器の存在が大きい。その一方で、A. baumannii は乾燥した環境でも数週間以上生存できる。このため患者の皮膚や病室の環境(ベッドの手すりなど)が保菌場所となり、手洗いや病室の消毒が不完全だと、他病室の入院患者や同じ病室に次に入った患者に伝播することとなる。米国での院内感染事例では、ネブライザー、加湿器、ヘパリン生食水、マットレスなどが感染源として特定されている1) 。また、対テロ戦争での創傷感染については、その後の疫学調査により、野戦病院の手術室などの環境汚染が主因だったことが明らかになっている4) 。抗菌薬による選択圧については、セファロスポリン、フルオロキノロンなど種々の系統の抗菌薬が危険因子として報告されている5) 。ただし、これについてはその病院で多用されている抗菌薬が統計的に危険因子として浮上しやすい面があり、臨床的には、その場面で問題となっている株が耐性を示すすべての系統が危険因子であると考えて対処するのが安全と思われる。

治療方針と予後
多剤耐性A. baumannii の治療に関しては残念ながら質の高い臨床知見が乏しい。これには患者数が比較的少ないこと、患者の多くが重篤な基礎疾患を抱えていること、適切な対象群の設定が困難なこと、など複数の要因が絡んでいる。したがって、症例数が比較的多い米国でも抗菌薬の使い方は各施設が独自に経験的に決めているのが実情である。カルバペネム感性株にはほぼ全例でカルバペネムが用いられるが、近年急増しているカルバペネム耐性株についてはコリスチン(ポリミキシンE)やチゲサイクリン、あるいはこれらの組み合わせ療法(combination therapy)が試みられている。もっとも一般的に用いられる組み合わせはコリスチンとリファンピシン、あるいはコリスチンとカルバペネムだが、これらについても微生物学的に相乗作用や相加作用があることがその根拠であり、単剤による治療に比べ治療効果が優れるかどうかははっきりしていない。肺炎の場合には、これに加えてコリスチンのプロドラッグであるコリスチメセートの吸入もよく行われるが、その有効性は分かっていない。また、稀ながらコリスチン耐性株も報告されつつあり、最後の砦であるコリスチンの使用方法には十分に配慮する必要がある。

このような治療によっても多剤耐性A. baumannii 感染症の予後は不良で、感染症そのものによる致死率だけで8〜23%、集中治療室では10〜43%に達すると報告されている6) 。

おわりに
米国では多剤耐性A. baumannii は患者の転院などを介して多くの病院に既に定着してしまったと考えられる。そして病院環境へ定着してしまった後は完全に除菌することはほぼ不可能である。幸い本邦では現在のところ多剤耐性A. baumannii は稀である。したがって、細菌検査室でこの菌が検出された場合には、直ちに感染経路の特定を行った上で患者の隔離、病室の消毒などの対策を取って病院環境への定着を防ぐことが重要であろう。

 参考文献
1) Villegas MV, Hartstein AI, Infect Control Hosp Epidemiol 24: 284-295, 2003
2) Go ES, et al ., Lancet 344: 1329-1332, 1994
3) Kallen AJ, et al ., Infect Control Hosp Epidemiol 31: 528-531, 2010
4) Scott P, et al ., Clin Infect Dis 44:1577-1584, 2007
5) Peleg AY, et al ., Clin Microbiol Rev 21: 538-582, 2008
6) Falagas ME, et al ., Crit Care 10: R48, 2006

ピッツバーグ大学医学部感染症内科 土井洋平

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