「病原微生物検出情報・月報」の<特集>記事
(Vol. 31 p. 73-74: 2010年3月号)

「病原微生物検出情報・月報」は、地方衛生研究所(地研)等における病原体分離データの集計を掲載すると同時に、日本における公衆衛生上または臨床医学上重要な感染症を毎号一つ取り上げ、その時点での国内の病原体および患者発生の疫学をまとめた<特集>記事を載せている。このたび「月報」30周年記念号に寄稿を依頼されたので、<特集>に関し私が携わったことを述べてみたい。

1980年3月発行の「月報」第1号の編集長は、国立予防衛生研究所(予研)ウイルス中央検査部(ウイルス中検)の甲野禮作部長であり(本号4ページ参照)、事務局は血清情報管理室であった。1981年4月山崎修道先生が甲野先生の任を引き継がれた。私は当時ウイルス中検にいたが、1984年6月に国立公衆衛生院に異動したので、「月報」と関わるようになったのは、1991年にウイルス中検の部長として山崎先生の後を継いでからである。

ウイルス中検から感染症疫学部へ
1992年6月に予研の組織再編が行われ、ウイルス中検は「感染症疫学部」と名称変更になり、その業務の一つに国内の感染症全般の疫学状況を把握することが明記されて、「月報」の編集発行は正式の業務となった。部の歴史から見て、病原体疫学と血清疫学とのlaboratory epidemiologyが主になるのは当然のことであった。

検査室データを集計するときに問題になるのは、データの質quality である。その検査技術水準の維持・向上を図るために、予研と地研が参加する衛生微生物技術協議会があり、その運営にウイルス中検から引き続いて積極的に参加した。編集事務は、病原体疫学室が担当した。

1992年9月に当部は、武蔵村山市から新宿戸山の新庁舎へ移転した。それまで、「月報」の編集委員会は細菌部と合同で村山庁舎で開いていたのだが、今度は同じ庁舎で行われることになり、細菌部との交流が深まった。編集委員会の主な議論は、毎号の特集記事の内容である。

1993年1月号から特集記事の英訳を載せるようになった。「月報」の英語名が必要になったので、いろいろな人の意見を聴き「Infectious Agents Surveillance Report, IASR」とした。一点の曇りも無い日本語文にしないと、意図しないニュアンスの英語に翻訳されることを経験した。文章は「1パラグラフ(段落)・1メッセージの原則」(木下是雄『レポートの組み立て方』ちくま学芸文庫)を守って書くようにした。

文字遣いも読みやすいように工夫した。キーワードは、常用漢字でないものでも漢字を使うようにした(「麻しん、と場」は「麻疹、屠場」に)。一方、全体の漢字数を増やさないように、「及び」などは平仮名にした。「ヒト human」と「人 person」とは文字で使い分け、「person-to-person transmission」は「人−人伝播」とした。ついでながら、印刷後の訂正が無いように事前に内容を厳重にチェックするのは当然であるが、電子出版だけのものでは、そのチェックは甘くなる可能性がある。

地研での病原体検出データは郵送によりマークシート等で感染症疫学部へ送られていたが、これをオンライン化する努力がなされた。1994〜96年に研究費で一部地研の参加を得てオンライン送付の試行が始められ、その後補正予算が付いて1997年1月から全地研が厚生省のWISH-NETを使って参加することになった。

<特集>の感染症を何にするかでは、毎号頭を悩ませた。地研で扱われている病原体の種類は限られており、それらは、食中毒集団発生の原因細菌や、急性感染症の病原体であるインフルエンザウイルス、エンテロウイルス、ロタウイルス、ノロウイルス(当時は小型球形ウイルスと呼ばれた)などである。1982年に始まった厚生省の「感染症サーベイランス事業」は、主として小児科診療所定点での毎週の患者発生数が保健所から厚生省本省へ送られていたが(1987年オンライン化)、これら定点での臨床材料が地研に送られ、病原体検出がなされていた。それらの病気は、高頻度であるが比較的軽症のものである。

臨床医学上重要な感染症である肝炎、結核、エイズ、マラリアなどの病原体を扱う地研は少ない。したがって、これら感染症の患者発生と病原体の疫学データは予研に集まらないので、その<特集>が書けないことは問題であった。

1996年7月、堺市で腸管出血性大腸菌O157による大規模食中毒事件が発生し、これを契機として国の感染症行政は大きく変わった。この年度にいただいた研究費で、「月報」1〜17巻(1980〜96年)の掲載記事をCD-ROM化した。これは過去の感染症を調べるのに重宝である。1997年1月号から、特集記事のスペースを広げるために「月報」をA4版化し、ウェブ版(http://idsc.nih.go.jp/iasr/index-cj.html)の発信も開始した。

感染症情報センターの発足
1997年4月から予研は「国立感染症研究所(感染研)」と名称変更になり、感染症疫学部は「感染症情報センター」として新発足した。「月報」の編集長は山崎所長から私に変わり、編集責任は感染研全体+厚生省結核感染症課が担うことになり、感染症に関係するすべての部から編集委員を出してもらうことになった。編集事務は、感染症情報室の担当となった。

定点診療所からの週別患者発生データの集計作業は、本省から情報センターに移行し、その集計結果は「感染症発生動向調査・週報、Infectious Diseases Weekly Report, IDWR」としてウェブ発信となった。1999年4月の新感染症法の施行で1〜4類の低頻度の重症感染症は全数報告になり、情報センターがそのオンライン集計を開始した。これら定点把握および全数把握疾患の患者発生データは、1999年9月に感染研内に発足した実地疫学研修事業(Field Epidemiology Training Program)の研修員が毎週モニターしている。

「週報」と「月報」との仕分けは次のようにした。前者は、情報センターの編集責任で患者発生データの集計結果にコメントをつけて迅速に発信する。後者は、<特集>、その他の情報記事、病原体検出データ集計表などを掲載する。

新感染症法施行後の新しい体制で、感染症疫学部時代に書けなかった特集記事が出せるようになった。インフルエンザ、腸管出血性大腸菌感染症、HIV/AIDSの<特集>は、毎年出すようにした。1997〜2009年の間に新たに<特集>に取り上げた感染症を調べてみると、急性肝炎4回、B型肝炎2回、C型肝炎1回、結核2回、マラリア3回、シラミ症1回、疥癬1回、蜂刺症1回などがある。

おわりに
感染研の研究者の多数は病原体の専門家であるが、病原体および患者データを総合して感染症全体を見渡す疫学専門家が、もっと必要である。HIV/AIDSの新規報告数は厚生労働省疾病対策課の事務官が集計しているが、感染者が増加しているHIVと他の性感染症との疫学を合わせて扱う部署が、感染研の中に必要であろう。結核は、新規患者報告数が減少しているとは言え、なお年2万人を超える患者発生があり、1〜3類感染症の中で最多のものである。2〜3年に一度は、結核の<特集>を載せてもらいたい。

<特集>は、変貌する国内の感染症の現時点での疫学を記録したものであり、感染症対策に必須のものである。これを読めば、日本における重要な感染症すべての最新の動向が分かる、ようにお願いしたい。

国立感染症研究所名誉所員・大妻女子大教授 井上 栄

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