香川大学における百日咳集団感染事例
(Vol. 29 p. 68-69: 2008年3月号)

緒 言
わが国では1981年より安全性の高い精製した無細胞百日咳ワクチンを含むDTaP接種が始まった。これにより百日咳罹患率は低下し、日本はWHOの目標値である10万人当たり百日咳罹患率が1未満の国といわれてきた1)。ところが2007年には、大学、高校における青年期・成人百日咳の集団感染が相次いで発生した。われわれは香川大学における成人百日咳の大規模集団感染について報告する。

経 過
2007(平成19)年5月17日香川大学教育・経済・法学部キャンパスの保健管理センター本部(高松市幸町)にて、「16kmはなれた医学部キャンパス(三木町)の学生が、百日咳疑いで自宅待機となった」との報告を受けた。

5月18日、保健管理センター本部に「1カ月間、咳が続く」という学生から健康相談があり、高松市内の総合病院呼吸器科に紹介、百日咳疑いと診断された。同日、医学部においても「長引く咳」を訴える学生が10名出現した。

5月24日、発端の医学部学生の同級生8名に山口株凝集素価の陽性反応が確認された。これにより集団感染と判断し、医学部の臨時休講を発表し、広報や報道などを通じ学生に注意を喚起した。

5月25日、教育、法、経済学部キャンパスの25名の学生、教職員からも長引く咳症状の訴えが保健管理センター本部にあり、大学全体の集団感染と判断し、休講措置を6学部すべてに広げ、6月3日まで学生を自宅待機とした。以後学生・教職員より、「咳症状の訴え」が連日あり、百日咳患者総数は7月5日まで増加し続けた。この間、咳を主訴として保健管理センターに来院した学生・教職員は 361名であった。そのうち百日咳菌山口株凝集素価が40倍以上の人は290名であった(図1)。

われわれは咳を主訴としてくる学生・教職員の属性を分析した。すると、サークル、学生寮、同一の部屋で執務する教職員に集積していることが判明した。

あるサークルでは、2007(平成19)年5月中旬より1名の学生に夜間の強い咳嗽が2週間以上持続した。臨床症状および血液検査にて百日咳と診断された。この後、同じサークルに所属する学生4名から相次いで強い咳が持続した。いずれの学生も山口株凝集素価が陽性であり、1名の学生の山口株凝集素価は5,120倍、もう1名は1,280倍の強陽性を示し、サークルにおける集団感染と判定された。このクラブでは、部員は初発患者と活動後の食事を一緒にとっていた。また、合宿においては同じ部屋で寝泊まりをしていた。

学生寮では、2007(平成19)年5月初旬、1名の学生に咳が出現した。徐々に夜間咳嗽が強くなり、連続咳発作、呼吸困難、咳発作後の嘔吐が現れてきた。3週間後、保健管理センターに相談があり、医療機関に紹介となった。臨床症状および山口株凝集素価強陽性にて百日咳と診断された。その後、7名の学生に強い咳が持続した。いずれの学生も山口株凝集素価が陽性であり、学生寮における集団感染と判定された。寮生は食堂、調理場が共通で、同じ建物内で生活しているため、頻繁にテレビ視聴、TVゲームなどを一緒にしていた。

これらのような半閉鎖的な小集団における感染が波状的に広がり、大学全体の集団感染に至ったことが考えられた。

百日咳と診断された学生・職員における症状は、連続咳発作60%、夜間咳嗽54%、会話刺激後の咳32%であった。このように典型的な症状を示す人がいる反面、明らかな症状を示さない症例としては、自分の「長引く軽い咳」を全く意識していなかったが、百日咳患者と密接な接触があり、血液検査にて抗PT抗体および山口株凝集素価強陽性を示す人もいた。自覚症状が非常に軽く、非典型的な症状しか示さない人が感染源として他の人に感染拡大させていく可能性もあると考える。

百日咳は学校保健法施行規則第19条に規定された第2種の感染症であり、出席停止の基準が定められている。「出席停止期間は特有の咳が消失するまで。病状により伝染のおそれがないと認められたときはこの限りではない」とある。我々は感染拡大を防止するために百日咳または百日咳疑いと診断された学生は出席停止とし、マクロライド系抗菌薬を一定期間服用した人は伝染のおそれがないと認め、出席停止を解除した。また、教育実習、病院実習において乳幼児等と接触する可能性のある学生等は、マクロライド系抗菌薬の予防内服を行った。

考 察
我々が経験した大規模な百日咳の集団感染は日本における百日咳患者数には登録されていない。これは日本では百日咳のサーベランスは全国3,000カ所の指定医療機関の小児科のみから報告する定点把握システムなので、成人百日咳患者についてはほとんど把握されないためである。百日咳の罹患率を国際比較した文献によると、日本における百日咳の罹患率は非常に低いとの報告があるが、実際の成人百日咳罹患者は少なくないと推測する。米国では小児のみならず成人の百日咳罹患者数が全数把握されている。日本でも、正確な百日咳罹患者数を把握するためには、定点把握から全数把握への変更、あるいは、指定医療機関の内科を基幹定点に加え、青年期・成人百日咳を基幹定点把握対象疾患にすることが望ましいと考える。

百日咳と診断された人の86%が百日咳ワクチンを接種済みであったとの報告がある2)。これはワクチン接種による免疫の持続期間は約4〜12年間であるためである3)。これは抗原刺激後、メモリーT細胞やメモリーB細胞が獲得した記憶は消失しないが、抗原刺激がなければ特異的抗体産生プラズマ細胞数や特異的CD8+細胞数が時間とともに減少するからである4)。現在、日本では、百日咳予防接種は多くの場合0歳で3回、1歳で1回、計4回DTaPワクチンを接種するのみである5)。これに対して米国においては生後2カ月、4カ月、6カ月、15〜18カ月、5歳にDTaPワクチンを5回接種した上に、11〜18歳にTdapワクチンを1回接種することが勧められており、合計6回の百日咳の予防接種を受けることが可能である6)。わが国も11歳時におけるジフテリア・破傷風トキソイド(DT)を、百日せきワクチン含有のDTaPあるいはTdapに変更し、成人以降も必要に応じて追加免疫が可能になることが望ましい。

百日咳の診断は臨床症状、培養、遺伝子検査、血液検査で行われる。日本において血液検査は百日咳菌ワクチン株の東浜株凝集素価と、流行株の山口株凝集素価を用いることが多い。しかし、成人におけるシングル血清による診断はいくつかの基準が提案されているが、定められたものはない。現在、一つの基準として、症状から百日咳が強く疑われ、山口株凝集素価が40倍以上であれば百日咳として治療するのが実際的であるという考え方がある7)。大規模な百日咳集団感染という特殊な状況下において、カタル期患者の早期発見、および、感染拡大防止の目的のために、われわれはこの基準を使用した。山口株凝集素価の分布(幸町)を図2に示す。山口株凝集素価は160倍を示す人が最も多かった。

慢性咳嗽の成人の1〜2割は百日咳との報告がある8, 9) 。我々の百日咳集団感染は特殊な事例ではなく、これまでは成人百日咳は気付きにくいため10) 、日本において見過ごされて診断されなかった可能性があると考える。今後、日本のいずれの成人の集団においても百日咳の集団感染は起こりうると考察する。

 文 献
1) Tan T, et al ., Pediatr Infect Dis J 24: S10-18, 2005
2) Harnden A, et al ., BMJ333: 174-177, 2006
3) Wendelboe AM, et al ., Pediatr Infect Dis J 24: S58-61, 2005
4) Slifka MK, Ahmed R, Trends Microbiol 4: 394-400, 1996
5)中野貴司, 小児科臨床 159: 1673-1680, 2006
6) Broder KR, et al ., MMWR 55: 1-34, 2006
7)高橋保彦, 日本臨床 65: 404-409, 2007
8)蒲地一成,日本臨床 63: 180-183, 2005
9) Crowcroft NS, Pebody RG, Lancet 367: 1926-1936, 2006
10)岡田賢治, 他, IASR 26: 66-67, 2005

香川大学保健管理センター 鎌野 寛 森 知美 前田 肇
高松市民病院 岸本伸人
形見医院 形見智彦
百石病院 佐藤 誠
国立感染症研究所 蒲地一成 荒川宜親

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