The Topic of This Month Vol.28 No.3(No.325)

狂犬病 2006年現在

(Vol.28 p 61-62:2007年3月号)

2006年11月、36年ぶりとなる輸入狂犬病が2例立て続けに発生した(本号3ページ4ページ参照)。狂犬病はラブドウイルス科リッサウイルス属の狂犬病ウイルスによる人獣共通感染症であり、すべての哺乳動物が感染する。しかし、本ウイルスの存続にかかわる宿主動物は食肉目と翼手目に限られており、その他の動物はヒトを含めて終末宿主である。

日本の発生状況:日本では1947年3月に伝染病予防法に基づく狂犬病の患者届出が開始され、1949年には74例と最も発生が多かったが、1950年に強力な狂犬病予防法を制定することにより、1951年以降急速に減少し、1956年のヒトとイヌ、1957年のネコを最後に国内からの狂犬病を撲滅することに成功した(図1)。その後は、1970年にネパールから帰国した青年が国内で発症した輸入例1例のみが報告されていた。1999年4月より狂犬病は感染症法に基づき、4類感染症として患者を診断した医師に全数届出が義務づけられており(本号18ページ参照、届出基準はhttp://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-04-11.html)、2006年2例が報告された。

世界の発生状況:インド、中国(本号8ページ参照)、フィリピン(本号9ページ参照)をはじめアジア諸国ではいまだに狂犬病が流行しており(本号6ページ参照)、世界的に見ても狂犬病のない国は極めて僅かである(図2)。WHOが行った2004年の再評価によれば、世界での狂犬病による死者数は年間55,000人と推定されているが、そのほとんどはアジア(推定31,000人)とアフリカ(24,000人)である。

狂犬病の曝露後予防:狂犬病は潜伏期が長いため、ワクチンと抗狂犬病ウイルス免疫グロブリンを用いて曝露後予防(post-exposure prophylaxis: PEP)を適切に行えば、ほぼ完全に発症を阻止できる(本号15ページ16ページ参照)。このPEPを受けている人口は年間800〜 1,000万人とされている。PEPを行うことの経済的負担も大きく、アジアでは5億ドル以上になると推定されている。米国でも年間数人の死者が出るが、発症予防には年間3億ドルが費やされている。貧困な国ではいまだに神経組織由来のワクチンがPEPに用いられており、1,000人当たり0.3〜0.8人の重篤な副反応が発生している。副反応の低い組織培養ワクチンは高価であり、その費用は平均的なアフリカの人々ではおよそ2カ月弱の収入に、アジアの人々ではおよそ1カ月分に相当する。また、開発途上国ではヒトグロブリンの入手が困難なことと、ウマ由来のグロブリン(ERIG)が廉価なことからERIGが主として用いられている。2001年には主要な供給元が撤退したことからERIGについても入手が難しくなる可能性がある。

狂犬病制御の問題点:狂犬病には安全で有効なワクチンが存在することから、その制御は可能である。しかし、実際にはサーベイランスが不十分であること、ワクチンや免疫グロブリンが高価であること、開発途上国政府の関心が低いことなどがわざわいして、なかなか制御あるいは撲滅が実現できていない。55,000人という死亡者数は動物由来感染症としてはトップであるが、全体で見れば世界の感染症による死亡者数の12位で、ヒトからヒトへの伝播がないため大流行に繋がる恐れもないことから、呼吸器感染症、下痢症、エイズ、結核などより対策の優先度が低くなる傾向がある。タンザニアで行われた解析では、政府が公表している狂犬病による死者は人口10万人当たり0.04人であるのに対し、積極的疫学調査によりイヌの咬傷事故数から割り出した推定値は10万人当たり4.9人となり、100倍も低く見積もられている可能性が指摘されている(Cleaveland S et al ., Bulletin of the WHO 80(4): 304-310, 2002)。

流行国での狂犬病対策:開発途上国におけるヒトの狂犬病は99%以上がイヌの咬傷によるものであり、PEPを処方されることの原因の90%はイヌである。従って流行のある開発途上国における狂犬病対策はイヌの狂犬病の制御にある。狂犬病の流行においてイヌの殺処分が対策の一つとして挙げられるが、イヌは繁殖効率も良く、ポピュレーションコントロールだけでは有効な手段ではなく、ワクチン接種プログラムと合わせて初めてその成果が期待できる。ワクチン接種に関してはその接種率が問題となるが、イヌにおける狂犬病の伝播の指標になる基本再生産数R0 は1.62〜2.33と計算されており、流行を完全に制御するのに必要な抗体保有率はpc =100(1-1/R0 )から39〜57%となる(Coleman PG and Dye C, Vaccine 14: 185-186, 1996)。したがって、流行地において狂犬病を制御するには60%の抗体保有率が必要である。WHOは経験的に70%以上のワクチン接種率が必要であるとしている。開発途上国におけるイヌの集団の9割はヒトに接近することができるといわれていることから、これらのイヌにワクチンを接種すればイヌの狂犬病の制御は可能であるということになる。開発国の多くはこうしてイヌの狂犬病を事実上駆逐することに成功している。しかし、北米、あるいは欧州では野生動物に狂犬病が維持されており、その制御のためにベイト(えさ)を用いた経口ワクチン投与を実施している。スイス、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、チェコなどで野生動物からの狂犬病の駆逐に成功している。

清浄国での狂犬病対策:日本やオーストラリア、ニュージーランド、英国などの狂犬病清浄国(図2)では、対策の中心は海外からの侵入を防ぐことである。そのための最も有効な手段は動物の輸入検疫である。

英国は2000年にそれまでの180日間の検疫から新たにPETS(Pets Travel Scheme)というシステムを導入した。これは狂犬病のリスクの低い国からのイヌ・ネコの輸入にあたっては、一定の条件を満たせば検疫なしで済ますことができるものである。現在では米国・カナダにまで対象国が拡大し、動物もフェレットが加えられた。このような制度変更の際には、科学的裏付けとしてのリスク評価が行われている。オーストラリアでは輸出国をリスクによって6カテゴリーに分け、それぞれのリスクに応じて検疫期間を0日〜120日に設定している。

日本では狂犬病予防法に基づきイヌ、ネコ、キツネ、アライグマ、スカンクの輸入検疫を行っている(本号19ページおよびhttp://www.maff-aqs.go.jp/参照)。検疫に加え、イヌの登録とワクチン接種を義務づけることでさらに防疫体制の強化を図っている。また、感染症法の改正により、哺乳動物の輸入は届出制となり(IASR 26:196-198, 2005およびhttp://iaa.keneki.jp/参照)、輸出国政府の衛生証明書の添付が必要になったことから、動物によって国内に狂犬病が持ち込まれるリスクは極めて低下したと考えられる。一方、密輸あるいは書類偽造などによる違法な動物の持ち込みがある場合には、リスクはかなり上昇すると考えられ、これらに対する取り締まりが重要である。また、臨床獣医師と公衆衛生獣医師は日常の業務において狂犬病の存在を意識する必要がある(本号5ページ20ページ参照)。

おわりに:年間1,700万人以上が海外へ渡航することを考えると、今回のように海外で感染したヒトが帰国後発症する可能性は今後も否定できない。海外の流行地へ出かける人への情報提供が極めて重要であるとともに、開発途上国からイヌの狂犬病をなくすことが日本の安全に繋がるものと思われる。なお、国立感染症研究所では狂犬病疑い症例の検査に対応している(本号10ページ13ページ21ページ23ページ参照)。

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