世界における狂犬病の発生状況および狂犬病侵入のリスク

(Vol.26 p 204-206)

狂犬病はヒトを含むすべての哺乳類に致死的な人獣共通感染症(動物由来感染症)である。毎年世界中で5万人以上ものヒトが狂犬病で死亡しており、その90%以上がアジアである。ヒトは主に狂犬病を発症した動物に咬まれて感染する。いったん狂犬病を発症すると、ヒトも動物も治療法はなく、ほぼ100%死亡する。狂犬病の流行を維持している動物種にはイヌ以外にキツネ、オオカミ、アライグマ、マングース、コウモリなどが知られているが、ヒトへの感染リスクは狂犬病に感染したイヌ、ネコなどのペット動物で高い。世界の発生状況はインターネットを利用して知ることができる(WHO狂犬病サイト; http://www.who.int/topics/rabies/en/、CDC狂犬病サイト; http://www.cdc.gov/ncidod/dvrd/rabies/、UK HPA 狂犬病サイト; http://www.hpa.org.uk/infections/topics_az/rabies/menu.htm、パスツール研狂犬病サイト; http://www.pasteur.fr/recherche/rage/rage-eng.htmlなど)。

現在、狂犬病清浄国と呼ばれている国は、日本、台湾、シンガポール、ハワイ、太平洋島嶼国、英国、オーストラリアなどのごく限られた国のみであり、近隣のアジア諸国でも台湾を除くほとんどの地域で狂犬病が発生している。アジアにおける狂犬病の流行原因動物はイヌである。中国政府衛生当局による2004年の「狂犬病の死亡者数はSARSやAIDSによる死亡者数をはるかに上回り、中国でもっとも致死性の感染症である」という発表が記憶に新しい。中国では1998年から狂犬病による死亡者が急激に増加して、2003年に1,980名(2002年の患者数に対して70%の増加)、2004年に2,600名を超えるヒトが死亡している。お隣の韓国では1984年に狂犬病を一度根絶したが、1993年に北朝鮮との国境沿いでイヌの狂犬病が再発生してから、流行地域と感染動物が増加して1998年以降にはヒトが狂犬病で死亡している。日本では半世紀近く狂犬病の発生を経験していない。しかしながら、流通形態の国際化により狂犬病が国内に侵入する経路や、その発生リスクはかつてなく多様化しており、狂犬病の侵入を100%防ぐことは困難と考えられる。

海外では、狂犬病常在地域に渡航したヒトが狂犬病に曝露して帰国後発症する輸入型の狂犬病がしばしば報告されている(表1)。いずれも、狂犬病の感染が疑われる動物から咬傷被害を受けた時点で曝露後のワクチン接種を行っていなかった。渡航地の狂犬病流行状況と狂犬病の発症リスクに対する認識不足や、危機感の低下によって起きた事例といえる。海外渡航者への十分な情報提供と危機意識の啓発が必要である。現在、曝露後のワクチン接種(狂犬病に感染した動物に咬まれた直後に行う連続ワクチン接種)が狂犬病に感染してから発症を防ぐことのできる唯一の方法である。

一方で、狂犬病に感染した動物が検疫を受けないで侵入した事例も数多く報告されている。モロッコからフランスに不法に持ち込まれた4カ月齢の子犬が、2004年8月に狂犬病を発症して死亡した。この子犬は狂犬病ウイルスを排出する感染伝播可能な時期に飼い主とともに複数の観光地を旅行していたことが判明したため、フランス国内だけでなく、関係したヨーロッパ諸国でも大きく報道されて、感染リスクのあった何十人ものヒトへの曝露後のワクチン接種と、リスク地域のイヌ等に対する曝露調査と予防対策が行われた(Rabies case in dog in South-West France, http://www.hpa.org.uk/infections/topics_az/rabies/french_rabies.htm)。

また、極めて稀な事例ではあるが、ボリビアにおいて2002年にペルー産のペット用ハムスターが狂犬病を発症し、子供を中心に多くの関係者が曝露後予防接種を受けている。

ハワイでは1991年にカリフォルニアから寄港したコンテナ船内で狂犬病のコウモリが見つかっている。港湾施設の係官が危険を察知してコウモリを迅速にコンテナ内に隔離したため、ハワイ本土への侵入が未然に阻止された。

国内では1957年のネコを最後に狂犬病の発生はないが、1970年に海外でイヌの咬傷を受けた青年が帰国後に発症して死亡している(表1)。近年、海外でイヌによる咬傷被害を受けて帰国する旅行者が多いと聞く。毎年1,700万人ものヒトが海外に渡航しており、渡航先の半数はアジアの狂犬病発生国である。

海外で感染したヒトによる狂犬病の侵入リスクとともに、決して忘れてならないのは狂犬病に感染した動物の侵入リスクである。日本では、毎年100万頭を超えるペット用の哺乳動物が外国との間を行き来していることが知られている(財務省貿易統計等より)。また、日本を訪れるロシア船8,244隻の8割以上が北海道と富山に入港している[2000(平成12)年度海上保安統計]。その船舶の6割以上に無検疫のイヌが乗船しており、船員の帰国時に遺棄されるイヌが多いとの報告もある。厚生労働省と農林水産省の共同で2002年に「我が国に不法に持ち込まれるイヌの対策等に係わる取扱要領」が策定されている。2002(平成14)年度の統計では、日本に入港したロシア船は5,097隻に減っているが、イヌの不法上陸は現在も報告されており、咬傷事故も毎年発生していると聞く。将来、狂犬病発生地からの帰国および入国者が狂犬病を発症したり、国内に持ち込まれた動物に狂犬病が発生するリスクはゼロではない。

日本では1950年に制定された「狂犬病予防法」によってイヌの狂犬病対策を強力に推進して狂犬病の発生をなくした。狂犬病予防法が施行された1950年には54名のヒト、867頭のイヌ、29頭のネコで狂犬病が報告されているが、ヒトでは1954年の1例、イヌでは1956年の6例、そして1957年のネコの1例が最後の報告である。

狂犬病の発生がない日本では、海外からの狂犬病の侵入を阻止することがもっとも重要である。現在、犬等の輸出入検疫は狂犬病予防法に基づき、農林水産省令により動物検疫所が行っている。海外からの輸入動物に対する狂犬病対策として、2000年からイヌに加えて、ネコ、アライグマ、キツネ、スカンクが検疫対象(狂犬病予防法)に加わり、2003年からコウモリが輸入禁止とされた(感染症法)。犬等の輸出入検疫は2004年11月6日から制度が改正されて新しくなった。検疫を担当している農林水産省によると、ペットブームを背景に、狂犬病発生国である東南アジアから子犬の輸入が急増して狂犬病の侵入リスクが増加したことなどが理由にあげられている。2005年9月からはすべての哺乳動物を対象に狂犬病に罹患していない旨の輸出国政府の衛生証明書を添えた厚生労働大臣への届出が義務付けられている(感染症法に基づく「動物の輸入届出制度」)。狂犬病予防法に基づく発生時の措置としては、獣医師の届出、犬のけい留命令、犬の一斉検診、臨時の予防注射等が規定されている。感染症法(「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」)では4類感染症に指定されており、患者を診断した医師は直ちに届け出なければならない。また、狂犬病の発生が疑われる場合には、同法に基づいて国および自治体が積極的疫学調査を実施できるとしている。同じく狂犬病のイヌ等を診断、検察した獣医師も狂犬病予防法によりただちに最寄りの保健所に届け出なければならない。

日本の狂犬病対策では、海外で感染して帰国したヒトとともに海外から持ち込まれる動物に対する対策が大変重要である。しかしながら、海外から国内に持ち込まれるすべての哺乳類を把握することは現時点では極めて困難であり、世界における狂犬病の発生状況を考えると、狂犬病が日本に侵入するリスクは決してなくなることはない。したがって、犬等の輸入検疫、動物の輸入届出、侵入動物の監視、飼育犬の登録と予防接種、放浪犬の捕獲と抑留等による狂犬病の侵入・発生リスク低減とともに、国内で狂犬病が疑われた、もしくは発生した場合に備えた対策(行政機関における対応マニュアルや検査システム等の事前準備)と地域ごとのリスク調査が重要となる。

国立感染症研究所・獣医科学部 井上 智

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