感染性分子クローンによるHIV-1の捕らえ直し

(Vol.26 p 116-117)

はじめに

世界のHIV/AIDS感染はいまも拡大している。1983年に病原ウイルスであるHIVが分離された当時は、数年以内に有効なワクチン開発が可能であるとする希望的観測が表明された。しかし、20数年後の現在に至っても有効なワクチンはなく、かつその見込みも悲観的にならざるをえないという状況を、当時の誰が予測しえただろうか。

HIV-1の多様性;世界規模と感染者個体レベル

HIV/AIDS研究はHIVの特性、すなわちその顕著な多様性を明らかにした。この多様性こそワクチン開発を困難にし、薬剤耐性ウイルスを生じさせる原因であるといっても過言ではない。歴史上、いかなる病原体よりも詳細に研究されてきたHIVではあるが、何故に有効な感染予防と感染防御機構が解明されないのであろうか?これまでのHIVの基礎研究は、HIV/AIDS流行初期から欧米先進諸国で流行したsubtype Bウイルス、特に初めてフランスで分離されたLAV株に近似する実験室株由来の感染性分子クローンを駆使したものが多くを占める。しかしながら現在、世界で感染爆発を起こしているのはnon-B subtypeウイルスで、subtype Bウイルスからかけ離れていることを念頭に置く必要性がある。すなわち、これほど多様性に富むHIVに対して、ごく限られた数の実験室株由来クローンを基に築き上げられてきたのが発見以来のHIV/AIDS研究の歴史であるといえる。

HIVの多様性に正面から立ち向かう時期が到来しているものと考える。すなわちグローバルな見地からは、世界で感染爆発を起こしている優位なウイルス株の特性を実験室株で得られ蓄積した知見との比較を通じて何故これらのウイルス群は感染爆発を起こしうるのか?単なるファンウダー効果ではない何らかのアドバンテージがこれらのウイルスサブタイプにあるのか否か?あるとすればどの遺伝子産物がその機能を担っているのか?を明らかにする必要がある。一方、個体レベルの感染の見地からは、感染者個体中のウイルスの多様性の生成機序を、臨床分離株を基に明らかにすることにより新たな視点が得られるものと考えられる。多剤併用療法(HAART)の導入により先進諸国でのHIV感染者の治療は一変し、患者の死亡率は低減しQOLは向上している。しかしながら、いかな多剤併用療法といえども多剤耐性ウイルスの出現をきたしSalvage療法が見当たらない症例も増加している。現在の多剤併用療法によるウイルスの根絶は残念ながら不可能であることから、感染者はウイルスの増殖を抑えるために服用し続けなければならない。薬剤耐性ウイルスは簡便な遺伝子検査によりその耐性を予測しているが、実際の臨床薬剤耐性プロファイルから乖離する臨床例も少なからず認められる。これは遺伝子検査がウイルス遺伝子の一部であるpol 領域のみの解析であり、既知のプライマーで増幅した遺伝子断片の塩基配列をデータベースに当てて推測しているに過ぎないからである。患者体内で変異が進行しながら増殖している感染性ウイルスを解析している訳ではない。

これら世界ないし個体レベルでのHIVの高度の多様性には、限られた数の実験室株クローンに依存した実験系では対応しきれないのは明らかである。しかし、実験室株の感染性分子クローンは感染細胞のゲノムを組み込んだファージライブラリーから塩基配列の相同性によりクローニングすることから、その作製には多大の労力と時間がかかっていた。近年PCR に用いるDNA PolymeraseのFidelityとProcessivityなどの性能の飛躍的な向上から、9.6kbp程のHIVゲノムを一気に間違いなく増幅することが可能になった。しかしHIVゲノムをプラスミドベクターにクローニングするとレトロウイルスの構造上両端にLTR構造を有することから安定なクローンをとることは困難であった。これらの事情からHIVの感染性分子クローンは増殖効率の良い少数の実験室株クローンが専ら基礎実験に供されてきた。とはいえこれら限られた感染性分子クローンがHIV/AIDS研究に果たした貢献は計り知れないものがあり、これらのクローンがなかったらHIV/AIDS研究はこれほど急速な進展はありえなかったといっても過言ではない。ウイルス遺伝子にコードされるウイルス特異的な蛋白分子がどのような機能を果たすのか、遺伝子と機能の相関を直接解析できる点は不可欠であるからである。しかしながら、これらの少数の感染性分子クローンはT細胞株で継代したウイルス由来で特異なものであり、患者から分離した臨床分離株と異なる性状をもつことを念頭に置くべきである。今後はより臨床株に近い、より多様なHIVの感染性分子クローンについての解析が、この高度な多様性を示すHIV/AIDSの研究に必要とされ、多様なHIVに対してその多様性を生きたままで捕らえ直す必要性が高まっている。

HIV Trapping System:高効率感染性分子クローン樹立法について

我々はより効率的なHIV感染性分子クローンの樹立法を確立すべく検討を重ねてきた。HeLa細胞株をベースにHIVのReceptorとCo-receptorを強発現し、HIV感染初期蛋白であるTatによりReporter分子が発現するように工夫した2種類のHIV感染価測定細胞株(MAGIC-5AおよびHeLa4.5nEGFP)とHIVゲノムを安定に保持するベクター(pMT1:pBR322由来改変ベクター)を開発した。これらとLong PCR法を組み合わせ、患者由来の感染性ウイルスから迅速で高効率に感染性分子クローンを樹立する実験系を確立した(HIV捕捉系;HIV Trapping System)。HIVデータベースからHIVゲノムに稀な制限酵素部位を検索し、これらの配列を組み込んだプライマー設計によりHIVゲノムを二分して増幅し、順次ベクターに組み込み、完全なHIVゲノムをクローニングした(図1)。その感染性を2種の感染価測定細胞株を用いて迅速に解析できる実験系である(図2)。この実験系により、世界に先駆けて、感染者総数が世界で最も多いHIV-1 subtype Cの複数クローン、次いで感染者が多いsubtype A、および西アフリカで感染拡大が著しい組み換え体ウイルスであるCRF02_AGクローンなどの樹立を順次報告してきた(図3)。また、本邦で異性間性感染により若年性感染者が増加している組み換え体ウイルスであるCRF01_AEに感染した邦人から経時的に分離した薬剤耐性ウイルスから複数の感染性分子クローンを効率的に樹立し、ウイルスゲノム全長にわたる配列解析と耐性プロファイルの相関を解析することにより薬剤耐性獲得機序を明らかにすべく研究を進めている。このアプローチは、今後DNA polymeraseの性能向上も期待できることから、より有効な戦略になるものと考えられる。患者臨床分離ウイルスの全ゲノム情報と回収可能なウイルスの独自のデータベースが構築でき、近い将来ヒトゲノム解明に続くヒトProteiomics解析と相俟って、ウイルス蛋白と宿主因子の相互作用の解析など様々な局面での発展が期待できる。

おわりに

このようなアプローチが実効性を持つには、感染者の正確な把握と感染者ウイルスの迅速な分離、および迅速なウイルスプロファイルの作成が高度に組織化された研究グループの連携で行われる必要がある。本邦の感染者数は増加傾向を示しているが、いまだ全数把握が不可能な状況に陥っているわけではない。臨床家と第一線の検査機関との連携により、HIV感染の早期発見、感染者の早期治療のための体制確立、本邦独自の視点に立った基礎研究を拡充する必要性が、HIV/AIDS感染拡大を防ぐために、以前にも増して高まっている。

国立感染症研究所・エイズ研究センター 巽 正志

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