本邦におけるSARS:重症急性呼吸器症候群サーベイランスへの報告症例
(Vol.24 p 156-159)

中国広東省での非定型肺炎の多発が2002年11月中旬頃に報道され、 2003年3月までに約300例の患者と5名の死亡が報告された。さらに3月5日にベトナムハノイ市で、 非定型肺炎の院内感染の集団発生が起こり、 続いて香港からも報告があった。世界保健機関(WHO)はこれを、 アジアの医療従事者における原因不明の非定型性肺炎の流行としてとらえ調査を拡大した。2003年3月12日、 WHOは地球規模で警戒すべき呼吸器感染症として“Global Alert”を発令、 3月15日にSARS:Severe Acute Respiratory Syndrome(重症急性呼吸器症候群)という新たな疾患概念を提唱した1)。

本邦では、 新型インフルエンザを警戒し、 2002年秋からWHO、 WPROとの連絡を密にするとともに情報収集に努めていたが、 3月12日の“Global Alert”を受け、 厚生労働省より通知が出され、 3月14日よりサーベイランスが開始された。SARSのサーベイランス症例定義(表1)に基づき同省に報告された症例は、 当初SARS対策専門委員会に諮られ、 SARS症例であるかどうか、 WHOへ届け出るか否かが討議されたが、 その後「可能性例」の定義に当てはまるものは直ちにWHOへ届け出るよう変更された。

6月20日午前0時現在、 報告症例総数68例、 うち可能性例16例、 疑い例52例である。このうち経過観察中の1例と、 検査結果待ちの1例を除き、 全例が他の診断がつき取り下げられたか、 あるいはSARS対策専門委員会で、 SARSの可能性が否定され、 本邦においては症例の発生は見られていない。このほかに、 いったん報告されたものの、 症例定義に合致していないこと等を理由に、 届け出そのものを取り下げた例など14例も把握されている。これ以降の記述疫学は特に断りが無い限り、 報告例(68例)すべてを母集団として行った。

SARSとして報告された症例数はサーベイランスの開始当初に多いが、 発症時期は「疑い例」、 「可能性例」ともに4月前半にピークを形成している(図1)。特に、 「可能性例」は4月16日に発症した症例を最後に、 今日まで新規の報告はない。国内で報告された症例はほとんどが輸入例であることから、 図1に見られる症例数の減衰には、 現地での感染伝播がピークを越えたことに加え、 渡航先として人気のある地域がSARSのためWHOの渡航勧告の対象となり、 東京入管成田空港支局の発表にもあったように母集団としての渡航者が減少したことや、 在留邦人のSARSの影響による帰国ラッシュのピークが過ぎたことが影響していると考えられる。年間の日本人出国者数が1,650万人、 入国者数が1,620万人2)を超えている現在、 未診断の症例の蓄積がほとんど無かったことは特筆すべきことである。

発症から報告までにかかった平均日数は3.1日(95%CI: 2.2, 4.1)であり、 サーベイランス開始時の3月は、 遡って報告された症例があるため比較的長く[5.6日(95%CI: 1.9, 9.3)]、 中盤の4月、 5月では即日報告が増えて報告までの時間は短くなった[2.5日(95%CI: 1.9, 3.1)、 2.2日(95%CI: 1.1, 3.3)]。医療従事者や都道府県担当者の間で、 また一般の人々の間で、 早期受診と即時報告の重要性が認知された結果と考えられる。6月に入り報告された症例も、 発症当日に受診し、 その翌日に報告されており、 現在も関係機関での警戒は高いレベルを維持していると考えられる(図2)。

報告症例の男女比は3.0と男性優位で、 年齢群別でもこの傾向に変化は無かったが、 最も報告数の多かった30歳〜49歳の年齢群では特に、 男女比が6倍以上あった。年齢群別報告数の比率を図3に示したが、 30〜39歳の年齢群が最も多く25%を占めていた。20〜29歳がこれに続き19%、 40〜49歳がほぼ同じ18%であったが、 海外でのSARS例では報告が少なかった10歳未満の小児が16%を占めていた。一部の症例についての情報からではあるが、 成人群は、 職業に関する記載、 滞在期間、 滞在先などから、 商取引、 海外赴任、 留学などの理由が考えられ、 小児群はその同行家族と考えられる。幸いSARSは現在まで、 小児の重症化例はほとんど報告されていないが、 約3カ月間でこれだけの数の渡航歴のある小児の発熱、 呼吸器症状患者の報告があることから、 今後は他の世界的流行の可能性が考えられる感染症の増加への対策と併せて、 "Young traveller"の健康管理に関する研究・対策にも力を入れていく必要があると思われる。症候群サーベイランスの症例定義ではこのように高い感度で症例が報告されることが重要であり、 さらに今回SARSで注目はされたものの、 実際には報告が少なかった職業や渡航目的などの曝露機会に関連した情報が付随していることで、 報告根拠も明確になり、 評価・解析がより正確、 容易になると考える。

報告地域は図4に示したように、 北海道から鹿児島県まで全国にわたり、 都道府県別では国際空港、 港湾が存在し、 人口も多い東京からの報告数が予測通り最も多かった。法務省発表の都道府県別出国者数2)を用いて発生率を計算すると、 報告数の最も多かった東京は年間出国者数10万対0.7人、 神奈川県0.4人、 千葉県0.5人、 大阪府0.3人、 兵庫県0.5人のようになり、 報告数は少ないが出国者数の少ない四国、 九州南部の都道府県が10万対で2.0人を超えた。発生率はばらつきが大きく、 特に統計学的に有意に高い都道府県は無かった。言い換えると今後も、 どの都道府県でも症例定義に当てはまる患者の発生するリスクは同等にあると言うことになる。

次に渡航歴であるが、 大阪の事例に関係した接触者と、 地域内伝播があるとされた地域への赴任者でSARSが疑われる症状を呈している者の家庭内接触者の、 合計2例を除き全例が帰国後短い期間中に発症している。その渡航先は台湾、 香港、 中国本土(ほとんどが広東省)が圧倒的に多く(p<0.001)、 経済交流、 留学など、 最近の中国との結びつきの強さが反映されている(図5)。ハノイ、 シンガポールなどは香港とともに好まれる短期の旅行先でもあることから、 3月のWHOによる“Global Alert”3)や“渡航勧告”4)が出されていなかったとしたら、 これら渡航先への旅行者数の急減も無く、 さらに多くの「疑わしい症例」の報告があったのではないかと推測される。

検査所見が報告に含まれている症例は少なく、 限られた対象での解析になる。また、 実際のSARS症例でもないことから、 半数以上の報告があった白血球数、 血小板数、 CRPに絞って述べる。報告症例の白血球数は平均9,735/ml(n=40, 95%CI: 8,460, 11,009)、 血小板数の平均は21.8万/ml(n=33, 95%CI: 19.5万, 24.1万)、 CRP(C反応性蛋白)は平均3.8mg/dl(n=34, 95%CI: 2.1, 5.5)と、 SARSの特徴として初期に報告された、 汎血球減少と炎症の所見には一致していない1,5,6)。

「可能性例」のレントゲン所見の詳細、 治療内容とそれへの反応、 臨床転帰に関してはほとんど不明である。また、 SARS症例ではないと結論づけられた症例についての、 判定根拠も症例報告に付帯していないため解析ができなかった。臨床検査が開発される以前の症例については、 コロナウイルスに関する検査が行われておらず、 重複感染なども完全には否定できていない。今回の報告例のさらに詳細な検討から、 鑑別診断の優先順位、 誤報告の対象となり得る疾患、 最低限必要な検査、 観察期間などの情報を得ることで、 SARSではない場合に必要のない精神的負担を無くし、 SARSの場合にはより早く迅速に診断し、 今後期待されるターゲットを絞った治療を行えるような体制作りの準備をする必要がある。海外からの報告では、 症例定義の一部しか満たさなかった例からコロナウイルス感染が確認された例や、 臨床的にSARSが否定された例が後にSARSと診断された例などがあり、 臨床像が確定しておらず、 診断検査の精度の問題が依然残り、 現在の診断の難しさが示されている。したがって、 実態把握の最初の一歩として、 「最近の地域内感染」があった地域からの帰国者を中心に呼びかけ、 血清をプールし、 信頼性のおける血清学的検査が実用可能となり次第実施することが必要なのではないだろうか。将来の有効な対策に結びつく形で情報の解析を行い、 今後の新興・再興感染症の国内流行を避けるためには、 個人のプライバシーに配慮しつつも、 より一層の情報提供の協力を呼びかけていくことが必要と考える。

文 献
1)http://www.who.int/csr/media/sars_wha.pdf
2)第42出入国管理統計年報、 平成14年、 法務省大臣官房司法法制部
3)http://www.who.int/csr/sars/archive/2003_03_12/en/
4)http://www.who.int/csr/sars/archive/2003_03_15/en/
5)Weekly Epidemiological Record, 21 March 2003
6)Peiris J.S.M., et al, Lancet 361: 9371, 1767-1772, 2003

国立感染症研究所・感染症情報センターSARS対策チーム

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