富山県におけるコガタアカイエカの発生状況

(Vol.24 p 155-156)

私たちの研究室には、 1968年から日本脳炎媒介蚊コガタアカイエカの発生調査の成績が蓄積されている。多い年には10カ所の畜舎(定点)でライトトラップによる蚊の捕獲調査を行っていたが、 家畜の飼養中止などで最近は5カ所に減少している。このうち2カ所は6月〜9月までの毎日捕獲調査、 他の3定点は6月2週〜9月末までの毎週水曜日の1晩捕獲調査を行っている。

富山県におけるコガタアカイエカ発生数と豚の日本脳炎ウイルスに対するHI抗体保有率との関係:コガタアカイエカ(以下コガタと略す)の年次捕獲数を、 最も多い定点と最も少ない定点を除き、 平均した数値を図示すると図1の棒グラフになる。それに各年8月末時点の豚におけるHI抗体保有率を折れ線グラフで重ねた。概観するとコガタの捕獲数が多い年は、 豚のHI抗体保有率も高い傾向がみられる。また、 豚での感染が拡大すれば、 ウイルスを保有する蚊の増加が類推され、 人に伝播する危険性は大きくなり、 コガタの発生数を監視する意味は重大になる。近年、 コガタの発生源になる水田の耕作面積と、 繁殖に欠かせない牛・馬・豚の飼養施設(畜舎)が顕著に減少し、 コガタの発生分布とその濃淡(発生数)が人への感染を考える際に極めて重要になると考えている。

定点畜舎の周辺環境とコガタアカイエカ捕獲数図2に、 毎日調査の2定点から水曜日のデータを抜き出して、 合計5定点の1998年〜2002年までの捕獲数の推移を示した。多数のコガタが毎年捕獲される定点と、 そうではない定点の存在が見てとれる。年間16回の調査で最も多数捕獲される定点の「富山」では、 1998年の96,196個体、 最も少ない定点の「大山」では、 同じ年で1,843個体に過ぎない。「富山」は富山市の南端に位置する水田地帯にあり(標高72m)、 牛舎の周囲は水田、 畑地、 牧草地(休耕田)などである。しかし、 北200mには大規模な住宅団地が20年ほど前から造成されている。一方、 「大山」は「富山」から直線距離で約2kmしか離れていない丘陵地の稜線上に位置する(標高162m)。そのほぼ中間に幅50mほどの熊野川が流れ、 それに沿って水田が拡がっているが、 定点牛舎に最も近い水田でも300m離れている。その間の標高差50mの斜面は竹林、 雑木林、 杉植林地などである。また、 牛舎の周辺には畑地、 杉植林、 雑木林、 民家および教育施設がある。「上市」も周辺に水田が無い丘陵地の斜面にあり、 捕獲数は少ない。「黒部」は唯一の豚舎で、 水田と畑が混在する平野部にあるが、 豚舎の周囲には水田は無い。「小矢部」は平野部水田地帯にあり、 1998〜99年は多くのコガタが捕獲されたが、 2002年は極めて少なくなった(理由については後述)。このように牛舎周辺の環境、 とくに幼虫の発生源になる水田に近接するか、 否かがコガタの捕獲数に大きく影響すると考えられる。

コガタアカイエカ発生数の年次変化図1に、 1968年〜2002年までのコガタの発生数を平均化して示し、 大きな増減の存在を明らかにした。これらの年変化は殺虫剤の空中散布、 種類・剤型の変遷や殺虫剤に対する抵抗性の発現、 また、 稲作形態の変遷、 さらには気象要因の関与などで生ずると考えている。2002年は1970年代の低発生時と同様に少なくなったが、 実はこれには大きな違いがある。すなわち、 この棒グラフは前述のように最多、 最少の捕獲定点を除外しての平均値であるから、 極端に多くのコガタが捕獲された定点の存在は消えてしまうことになる。1970年代は年間で1万匹を超える定点(9〜10カ所)は無かったのに対し、 2002年は6万匹を超えたた「富山」が除外されたため、 全県的に低発生とみられるになった。

図2に近年のコガタの発生状況をみるために、 1998年〜2002年までの捕獲数の年変化を示した。定点により様々な変動を示すが、 この5年間では1998年が最も多くのコガタが発生し、 次いで2001年がそれに続いたと判断される。2002年は「黒部」を除いた4定点で2001年よりも明瞭に減少した。「小矢部」は1998年から年々少なくなり、 2002年は1998年の1/23までに減少した。この定点は1998年当時40頭を超える乳牛が飼養されていたが、 2002年には和牛2頭、 乳牛1頭になったことと、 隣接した水田が畑地に転用されたことが、 コガタの発生に影響したと考えられる。

コガタアカイエカ発生の季節消長図3に毎日捕獲定点の「富山」の成績を示した。◆印の1998年が、 7月〜8月中旬まで1万個体を超えるのが目立ち、 その他の年は8月下旬から1万個体を超えるのが目立つようになる(図示しなかった1999年、 2001年も同様)。この調査を開始した1960年代末〜1970年代は、 1998年型の発生消長を示すことが多かったが、 1980年代に入ってからは、 8月後半〜9月に多くなる消長を示す場合が圧倒的に多くなった。それに連動して豚におけるHI抗体保有率の推移も9月に入ってから上昇し、 患者発生の時期にも関係し、 富山県における1982年、 1997年の患者発生が9月であったし、 隣の石川県でも1985年は9月、 2002年の患者は10月に発生している。なお、 コガタの発生が8月後半〜9月に多くなる消長の成因には、 水田における田植と稲刈の早期化と、 作付け品種が中手のコシヒカリに集中したための水管理の影響と推察されている。

2003年のコガタアカイエカ発生予測:2003年は「小矢部」の定点牛舎を変更するとともに、 県の中央部丘陵地の裾野部分の水田地帯にある乗馬クラブの厩舎と、 同じく丘陵地の水田と溜池が混在する地域の牛舎「小杉」を新たに定点に加えた。これらの定点は毎週水曜日の1回調査定点である。昨年までの定点を含めて7カ所になり、 調査は6月1日に開始した。6月の捕獲状況は、 昨年までの定点のうち「上市」は増加傾向を示しているが、 他の「黒部」、 「大山」、 「富山」は減少傾向を示している。移動した「小矢部」は昨年の定点よりも明らかに多数捕獲され、 新たに加わった「小杉」は「富山大井」よりも多く、 厩舎は「富山大井」の半数ほどで推移している。以上のように、 昨年の定点で減少傾向がみられるが、 その程度は小さいことから、 富山全体では梅雨明けと同時に暑い夏が訪れることで、 コガタの発生は多くなると推察される。

まとめ:一般的には「昔ほど蚊に刺されなくなった」といわれ、 蚊の発生が無くなったか、 少なくなったと考えている人が多い。この場合、 蚊の種類も問題になるが、 富山県のような稲作を中心とする農村地帯では、 日本脳炎ウイルスを媒介するコガタアカイエカがまだまだ多い地域もあるということを考えておかなければならない。一晩に2万匹も捕獲される場所が限定された狭い地域なのか、 広い地域なのかは今後の調査になる。これは富山県だけのことではなく、 全国の稲作地帯などで同じことが言えると思われ、 日本脳炎の脅威が完全に消滅したわけではない。

謝辞:原稿をまとめるに際し貴重な助言を頂いた当所ウイルス部の安藤秀二博士に深謝する。

富山県衛生研究所 渡辺 護 長谷川澄代

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