秋田県におけるYersinia enterocolitica O8群分離状況

(Vol.23 p 317-318)

Yersinia enterocolitica O8群は下痢症に限らず敗血症を惹起することが知られており、 その分布は北米に限るとされていた。しかし、 1991年に青森県で敗血症と診断された男児から本菌が分離され、 Y. enterocolitica O8群感染症がわが国にも存在することが明らかとなった。本菌感染症は発生が比較的まれと考えられるが、 秋田県においては1995年11月以降ほぼ毎年継続して感染者が確認されている。1996年〜2002年9月までの秋田県内におけるY. enterocolitica O8群分離状況の概要を報告する。

秋田県の県北(大館保健所と能代保健所管内)、 秋田市(秋田市保健所管内)、 県南(大曲保健所、 横手保健所、 湯沢保健所管内)の医療機関からY. enterocolitica の分与を受けて血清群別を実施した。1996年〜2002年までのY. enterocolitica O8群分離株数を年、 および県北、 秋田市、 県南の各地域ごとに集計した結果をに示した。1996年は秋田市で17株、 県北で10株のY. enterocolitica O8群が分離された。1997年は県南で初めて本菌が1株分離されたものの、 3地域全体における分離株数の合計は2株であった。1998年は県北での分離株数が6株と増加した。その後、 1999年、 2000年ともにY. enterocolitica O8群感染者の発生はほとんどみられなかったものの、 2001年は3地域における分離株数の合計が21株に急増した。この分離株数の増加は、 特に秋田市で顕著であった。また、 それまで感染者がほとんど確認されなかった県南地区で本菌が5株分離されたことが注目された。2002年は前年と比較して3地域における分離株数の合計は減少したものの、 県南においても感染者が発生する傾向が継続している。以上の結果から、 秋田県内では1996〜1998年にかけて1回目の、 および2001〜2002年にかけて2回目のY. enterocolitica O8群による感染の流行が発生していたものと考えられた。さらに、 2回目の流行期には患者発生が県南部にも及んできたことが示された。

県内でこれまでに発生したY. enterocolitica O8群感染事例はいずれも散発感染事例、 あるいは家族内感染事例であることから、 いずれの事例においても感染源は特定されていない。1996年に県北で発生した感染事例において、 医療機関による患者への聞き取り調査により井戸水の関与が示唆されたが井戸水汚染は証明されなかった。

1996年に県北、 秋田市、 および隣県の青森県で分離された株についてNot Iパルスフィールド・ゲル電気泳動(PFGE)パターンの比較を実施したところ、 供試株のパターンは同一であることが判明した。ただし、 Y. enterocolitica O8群の分子疫学解析に際してのNot I PFGE法の解析力の評価は明らかではない。一方、 2回目の流行期に該当する2002年に県内3カ所で分離された株について、 その関連を調べるためにNot I、 Xba I、 Sfi I PFGEパターン、 およびHind IIIリボタイピングによるパターンの比較を実施した。その結果、 供試株はいずれの手法によってもすべて同一のパターンを示すことが判明し、 このことから同一クローンに属すると考えられるY. enterocolitica O8群が2回目の流行期である2001年以降、 県内のより広い地域に侵淫しつつあるものと推察された。

1996年以降Y. enterocolitica O8群分離株の分与を受けてきたが、 感染者の臨床症状に関してはほとんど情報収集しなかったことが反省される。しかし、 感染者の一部は回盲部リンパ節炎や敗血症を発症していたこと、 入院患者からの分離例もみられたことなどは、 本菌感染者が重篤な症状を呈する場合が多いとの知見と一致するものと考えられた。

国内におけるY. enterocolitica O8群感染症の発生実態はほとんど明らかになっていない。その発生が青森県や秋田県など北東北のみに限局しているかどうかも含めてその実態解明が必要と考えられる。

秋田県衛生科学研究所・微生物部細菌担当 八柳 潤 齊藤志保子 佐藤晴美

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