The Topic of This Month Vol.19 No.5(No.219)


コレラ 1975〜1997

コレラはもともとガンジス河デルタ地帯の風土病であった。それが1817年以降西欧との通商が盛んになるに伴って、世界各地へ拡大し、1923年までに6回にわたる世界流行を起したが、その後この古典型コレラは世界的流行をみていない。

ところが、これとは異なるインドネシアに土着していたコレラが、1961年頃から近隣の東南アジア、インド亜大陸、中近東、アフリカ、近年さらに南米へと波及した。これがコレラの第7次世界的流行、エルトールコレラで、いまだ猛威を振るっている。

 1.わが国におけるコレラの発生状況
1975年〜1997年までのわが国におけるコレラ発生事例を図1に示す。わが国におけるコレラの発生はかつてはコレラ流行地からの帰国者にほとんど限られていたが、近年海外渡航歴のない人々の事例が目立つようになった。

これまでの国内流行事例としては、1977年フィリピンからの帰国者がその発端となった和歌山県有田市のコレラ流行、翌1978年東京池之端の結婚式場でのインドネシア産ロブスターを原因食とするコレラ集団事例を経験している。また、1989年には名古屋市を中心とした集団発生があり、患者は7都府県と広域にまたがった。さらに1991年には首都圏コレラ事例が発生した(本月報Vol.15、No.6、1994参照)。

特記される輸入事例としては、1995年に発生したバリ島帰国者コレラ事例がある。バリ島への観光ツアー帰国者にコレラ患者が爆発的に発生し、患者数は 296名にも達し、患者発生は37都道府県にも及んだ(本月報Vol.17、No.4、1996参照)。

1996年のコレラ発生事例は62名で、輸入例49名(79%)、海外渡航歴のない国内発生13名(21%)であり(本月報Vol.18、No.8、1997参照)、前年(377名)と比べ激減した。これはバリ帰国者コレラの発生が極端に減少(3名)したことによるものである。

1997年のコレラ発生事例は101名である(本号5ページ参照)。このうち海外渡航歴のない人にみられたコレラの発生は36名、17都府県(宮城県、秋田県、福島県、栃木県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、岐阜県、静岡県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、大分県、鹿児島県)にも及び(図2)、この年の全発生事例の36%をも占め、特に8月に最大のピークが観察された。次いで7月が多く、腸炎ビブリオ食中毒の発生状況と同様な様相を呈した(図3)。一方、輸入例をみると4月が突出している(患者16名)。これはタイへの観光ツアー2組(患者11名)に集団発生がみられたことに起因する。

患者の年齢層では、海外渡航歴のないコレラ患者は13〜86歳(平均60歳)にわたり、そのうち60歳以上の人が約51%と、半数以上を占めた。それに対し、海外渡航歴のある事例では年齢分布は6〜72歳(平均46歳)であったが、60歳以上は約17%でしかなかった。海外渡航歴のないものの発生は高齢者に多かったが、その家族等にはコレラ患者の発生が認められなかった。

1997年の海外渡航歴のないヒトから分離されたコレラ菌34株について、ファージ型、薬剤感受性および遺伝子型をNotI制限酵素切断後のパルスフィールド電気泳動(PFGE)により解析したところ、これらのほとんどすべてが同一または極めて類似したパターン(型)を示した。一方、ここでみられた型は近年東南アジア等で流行している株と同一の型を示したが、過去の国内集団発生事例の菌株の型とは異なっていた(本号3ページ参照)。しかしながら、これらの解析結果から感染経路を特定することは困難であった。

 2.わが国におけるVibrio cholerae O139の発生状況
1993年4月、埼玉県でインドへの旅行者から初めてV.cholerae O139が検出され、7月には長野県でもネパールからの来訪者から本菌が検出された(表1)。これら2事例はいずれも重症のコレラ症状を呈したが、10月のインド由来の栃木県の事例では軽度の下痢であった。1994年2月〜4月までに報告された4事例はいずれもタイで感染した。8月にはインド亜大陸由来2事例、さらに10月にはインドおよび中国からの帰国者2名から本菌が分離された。

その後しばらくO139事例報告は途絶えていたが、1997年9月、ネパールからの帰国者(24歳男性)にその発生をみた。(本菌に関する詳細は本月報Vol.14、No.5、p.97およびNo.6、p.125、1993参照)。

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