1994年および1995年の2年間の劇症型A群レンサ球菌感染症の疫学調査

わが国において、劇症型A群レンサ球菌感染症は1992年、清水らによって最初の症例が報告された。その後、本症は全国各地で散見されるようになった。当研究所では、わが国最初の本症患者から分離されたA群レンサ球菌のT抗原型別と発熱性毒素型別の検査を実施した。それ以来、全国各地で発病した劇症型A群レンサ球菌感染症患者または本症の疑いの患者から分離されたA群レンサ球菌菌株がT抗原型別および発熱性毒素の検査のため、当研究所に送付されることが多くなった。その菌株の送付を受けるときに、同時に本症患者の調査票の送付を受けている。私どもはその調査票をもとに1994年および1995年の2年間の劇症型A群レンサ球菌感染症の疫学調査を実施したので報告する。

劇症型A群レンサ球菌感染症がわが国で最初に報告された1992年〜1995年までの4年間に本症または本症の疑いの患者数は 109名であった。そのうち1994年および1995年の2年間の患者数は79名で、4年間の総患者数 109名の73%を占めていた。このように後半の2年間に大流行があったことを示している。図1はこの4年間の患者の月別発生状況と死亡者数を示したものである。このから本症は1993年10月〜1994年8月までに患者数も死亡者数も突然急激に増加し、全国的に大流行があったことを示している。その後、1994年12月〜1995年2月までの冬季にかけて再び流行が見られたが、それ以降、大きな流行が見られていない。

1994年の劇症型A群レンサ球菌感染症患者は54名で、男性36名(67%),女性18名(33%)であった。1995年の本症の患者数は25名で、男性17名(68%)、女性8名(32%)であった。この2年間の本症患者の男女比は約2:1であった。次に、1994年の本症による死亡者数は22名で死亡率は41%、1995年の死亡者数は9名で死亡率は36%であった。これらの死亡率を1993年の死亡率53%に比べてみると、年ごとに漸次減少していることがわかるが、まだ依然として高い死亡率であった。

本症患者の主な既往症は肝機能障害、糖尿病、打撲・受傷などであるが、既往症のない患者もみられた。本症患者の主な臨床症状は腫脹、発熱、低血圧、ショック、肝機能障害、腎機能障害であった。本症の半数以上の患者は敗血症で、血液培養からA群レンサ球菌が検出されている。

1994年および1995年の2年間に本症患者から分離された79株のA群レンサ球菌のT型別の成績を表1に、発熱性毒素型の成績を表2に示した。本症から分離されたA群レンサ球菌のT抗原型は多い順にT3型、T1型、 T28型、 T12型、その他等であった。T3型とT1型の合計は45株で、全体に占める割合は57%と高い値を示している。特にT3型A群レンサ球菌が1994年に23株(29%)と多く分離された。この年だけになぜこのようにT3型A群レンサ球菌が多く分離されたのかについては全く不明である。これらの菌株の多くは発熱性毒素A型を産生した。次に、本症から分離されたA群レンサ球菌の発熱性毒素型は多い順に B+C型、 A+B型、A型、B型、C型であった。また、本症から分離されたA群レンサ球菌であるが、発熱性毒素非産生株が1株みられた。

以上のように、劇症型A群レンサ球菌感染症は、ある特定の固定されたT型および発熱性毒素型のA群レンサ球菌だけが発病を起こすのではないことを示唆している。しかし、それではなぜ劇症型A群レンサ球菌感染症が1994年冬季〜1995年前半に多発したかについては、現在のところどのように理解すればよいのか、それを説明できる答えは得られていない。

劇症型A群レンサ球菌感染症は今後も突然多発する可能性がある。そのため、全国規模でA群レンサ球菌の菌型の動向を監視していく必要があると考えている。

東京都立衛生研究所微生物部細菌第二研究科 遠藤美代子 奥野ルミ 柏木義勝 榎田隆一 諸角 聖
同細菌第一研究科  五十嵐英夫

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