国立感染症研究所 感染症情報センター
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インフルエンザ ジフテリアの基礎知識


5. 予防と疫学調査
 

ジフテリアトキソイドの歴史は古く、1921年Glennyらにより、予防のために毒素を無毒化したトキソイドの研究、開発が行われ、ヒトに用いられるようになった。国内のジフテリア予防接種の変遷は、1948年に予防接種法が制定されるとともに、液状ジフテリアトキソイド(D)が導入された。以来、1958年に百日咳ジフテリア混合ワクチン(DP)、その後、液状ジフテリア破傷風混合トキソイド(DT)、沈降DTさらに1964年に百日咳ジフテリア破傷風混合ワクチン(DPT)等、様々なワクチン剤型が接種対象者の目的ごとに製造され使用されている。1980年からはDPTのP(百日咳)が成分ワクチンとなり、幼児期の基礎免疫用に適した沈降精製百日咳ジフテリア破傷風混合ワクチン(DTaP、aP:acelullar vaccine)として世界に先駆けた改良ワクチンが市販され、ジフテリアの予防に効果を挙げている。
 その後、1994年10月1日付けで予防接種法が改正になり、旧法(1976-1994)と基本的な接種方法には大きな変更はなかったが、以下の点に注意を要する。初回接種が生後3ヶ月に引き下げられ、接種時期の名称(旧法: I 期、II 期およびIII 期、改正法:I 期(初回3回および追加)、II 期(ジフテリア破傷風2種混合)が変更され、接種対象年齢幅が総じて広げられた。対象年齢はI 期初回が生後3-90ヶ月であるが、標準的な年令は、同じく生後3-12ヶ月とされている。I 期追加は、通常はI 期初回接種(3回)後12-18ヶ月、II 期はジフテリア・破傷風のDT2種混合ワクチンで11-12歳に行われる。さらに、接種方式が義務接種、集団接種から勧奨・個別接種へと移行した。
 WHO基準ではジフテリアトキソイドの力価を国内基準より2倍高く設定し、抗原量や添加剤を調製することを求めている。従って、国内のDTaP製剤は諸外国の製剤に比べて副反応を最小限に抑えるために、また過剰免疫に注意して抗原やアジュバント量を調整している。先に、DTaP中に含まれるゼラチンによる副反応の問題が議論されたが、我が国で現行のDTaPワクチンからは、ゼラチンは除去された。ワクチンには限られた免疫物質だけを含むことが望まれ、単純で安全性の高い、より有効性の優れた製剤の開発と品質保証体制が進められている。

 ジフテリアの血清疫学調査:厚生省伝染病流行予測事業において1962年の発足当時から感受性についての調査が行われてきた。調査方法は1974年まではシック毒素を直接注射(皮内反応法)して毒素に対する感受性を調査した時代から、1975年からは培養細胞法による血中抗毒素価の定量に代わっている(微量の抗毒素を定量的に測定することが可能となったため、日本では1984年よりヒト試験用シック毒素の製造は中止された)。1980年より調査が中断された時期があったが、対象である児童、生徒は総じて高いレベルで抗毒素を保有している。
 発症防御と抗毒素値の関係は古くから、中和抗体価として0.01−0.1単位が最低感染防御範囲と考えられていたが、最近は0.1単位が必要ではないかという意見が一般的になっている。従って、このレベルの抗毒素価が検出されない幼児、成人等には,トキソイドの接種を考えることが必要である。通常、ジフテリアの伝染に対する社会集団免疫には、全体の70-80%以上が感染防御抗体を有する必要があると言われている 。1994-1995年に一般健康人から採血した血清を材料として、培養細胞法で測定した国内の各年齢層の抗毒素価の保有状況を図5に示した。0-20歳までの低年齢層ではトキソイド接種後、大半の対象者はすみやかに発症防御レベルに必要と言いれる0.1単位を超えた抗毒素価が証明され、現在の予防接種計画の適正とワクチンの効果は再評価された。なお、予防接種改正後の1995,1996年の疫学調査では、改正前と大きな差は見られず、乳幼児における抗毒素保有状況には変化は見られなかった。40歳以上では70-80%の割合で0.01単位以上の抗毒素価が検出されている。このことは、この年齢層が過去における感染既往を窺わせるととも、毒素刺激による抗毒素が産生されていることが推測され、病原菌(毒素産生株)が環境に存在していると思われる。

 国内、国外の発生状況:1992年秋田県において県内では6年ぶりに患者が発生し、施設の園児よりCorynebacterium diphtheriae菌gravis型が分離された。菌が分離された5名中2名は不完全なワクチン接種歴があり、弱い発熱が観察された。また、1993年に大分県内で2名の発生があり、いずれもワクチン未接種、うち1名が死亡した。この事例では治療用抗毒素が期限切れであり、患者の治療を巡って訴訟となった。1998年7月に大分地裁で判決があり、医師の抗毒素投与の遅れは指摘されが、抗毒素の管理と患者の死亡には因果関係がないと国の責任については明確な言及が避けられた。なお、大分県内で1985-1994年の間に11名の届け出患者が出ており、全国の患者数56名中19.6%を占めている。
 ロシア連邦では、1990年以降毎年患者は急増し、1990-1995年の間に世界中で報告されたジフテリア患者のおよそ90%がこの地区で発生し、流行が始まってからの患者数約125,000人、死亡者数約4,000人以上が確認されている。隣接した国々への感染の拡大が国際的な問題となった。
 また、熱帯地方では、皮膚ジフテリアも疫学上問題である。日本ではここ数年来、海外渡航者が増加し、海外で感染し発症した事例も伝わっている。国内はもとより、感染の危険性は現在もなお続いている。
 無症候性のキャリアー(ヒト)が媒介して、飛沫感染が中心で、皮膚の接触感染は稀と考えられる。国内の流行期は冬-春の報告が多く、伝染性に関しては抗生物質を使わないと数週間はヒトからヒトへ感染すると言われている。

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